やまみやせんげんじんじゃ
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【山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)】
~富士山世界遺産構成資産(神社:3/8)~
山宮浅間神社は、富士山本宮浅間大社の元宮で通称山宮と呼ばれている。第12代景行(けいこう)天皇(在位:71-130)の御代、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折、駿河国で賊の攻撃に遭われた際、陣中で富士の神(浅間大神)を祈念され無事、災難を免れたという。日本武尊は深く富士の神の恩恵を感謝され神霊をこの山宮に祀られたと伝えられている。
境内は社殿がなく、富士山そのものを神と拝むための遥拝所があり、古代からの富士山祭祀(さいし)の形が今も残っている。
ー祭神ー
①木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)(別称:浅間大神(あさまのおおかみ))…大山津見神(大山祇神)の御息女で大変美しく、天照大御神の孫神の邇邇芸命(瓊々杵尊)の皇后となる。神徳:縁結び・安産子育。


浅間神社めぐりバスツアー4社目
鳥居をくぐり、灯篭が続く参道を歩いているときから、なにやら特別な空気を感じました。
籠屋を通り、さらに歩くと、鉾立石なるものが。
御幸行の途中休憩するとき、鉾を立てて置く石だそうです。
もともとはもっとあったそうですが、ここに2個と、浅間大社に1個残ってるだけだそうです。
で、遥拝所に、
ほんとに御社はなく、富士山が木の間から見ることができます。
本来はこういう形だったのだなあ、と。
過去なんどか拝殿を建てようとされたそうですが、その度に嵐がきたりしたそうで、
神様が要らないとおっしゃっているということで、今の形がそのまま残っているそうです。
自分だけだったらなかなかこういうところにはこれないので、コースにいれていただいてありがたいです。
御朱印は籠屋に書置きが置いてあり、それをいただきました。
(初穂料は入れる箱がありました)
日付は自分で書き入れるようになっていました(まだ入れてない・・・)


山宮浅間神社は、『信仰の対象』としての富士山の顕著な普遍的価値を証明する上で不可欠の構成資産である。
富士山本宮浅間大社の社伝によれば、山宮浅間神社は富士山本宮浅間大社の前身であるとされている。
山宮浅間神社では、本殿に相当する建築が参道の終端付近に存在せず、富士山の方向に展望の軸を合わせた位置に祭壇又は石列の区画から成る遥拝所を設けるなど、独特の境内の地割が見られる。
このような地割は、富士山に対する遥拝を主軸とする古式の祭祀の在り方を示しているものと推定されている。
また、遥拝所の位置は、約2,000年前の溶岩流の末端部に当たり、植生の回復が遅かったものと考えられる。
そこは、社叢に覆われた参道より約10mも高く溶岩流が露出する地形となっており、富士山に対する眺望も良好であったことから、遥拝を祭祀の主軸とする山宮浅間神社の適地とみなされたものと考えられている。
社伝によると、山宮浅間神社が現在の地に設けられたのは古く日本神話の時代であったとするが、その正確な年代は不詳である。
境内における発掘調査の成果によると、神事に使用されたものと推定される12~15世紀の土器が複数片出土しているほか、歴史資料によると1551年には神社の存在したことが確認できる。
また、1577年の『冨士大宮御神事帳』にも山宮浅間神社に関する記述が見られ、遅くとも16世紀後半までには、富士山本宮浅間大社と山宮浅間神社との間において、「山宮御神幸」と呼ぶ浅間大神の渡御に係る儀式が始められていたものと考えられている。
この儀式は、毎年4月及び11月に、浅間大神の宿った鉾を持つ富士山本宮浅間大社の神職らが、富士山本宮浅間大社と山宮浅間神社との間を往復する神事であった。
富士山本宮浅間大社及び山宮浅間神社の境内には、そのような神事に際して浅間大神を休めるために鉾を立てた「鉾立石」と呼ばれる基礎の石が計3基残されている。
また、神職らの着席位置を示す遥拝所の石列、境内唯一の建築物である籠屋も、かつての神事において重要な役割を果たした施設である。
この神事は1874年まで継続的に行われていたが、現在では行われていない。
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