御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

しゅぜんじ|曹洞宗福地山

修禅寺のお参りの記録一覧
公式静岡県 修善寺駅

2 / 6ページ26〜50件137件中
のぶさん
のぶさん
2023年06月05日(月)1661投稿

今朝間違えた場所に投稿してしまい、再投稿です
大同2年(807年)、空海(弘法大師)が修善寺に創建したと伝えられる古刹が修禅寺で、正式名は福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)。修善寺温泉の地名の由来になった寺ですが、源頼朝の異母弟、源範頼(みなもとののりより)と2代目将軍・源頼家が幽閉、暗殺されたことでも有名です。

鎌倉時代に蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入山して真言宗から臨済宗に改宗しています。長享3年(1489年)、韮山城主・北条早雲が隆渓繁紹(りゅうけいはんじょう)を遠州の石雲院から招いて曹洞宗に改宗した。

源範頼、そして源頼家の悲話を秘めた寺らしく、境内は静寂に包まれています。
手水場の龍の口から温泉が流れ出ているところは修善寺温泉らしいところ。
現存する本堂は明治16年の再建で、本尊の木造大日如来坐像は、承元4年(1210年)に実慶が作ったとの墨書が発見されており、国の重要文化財。

建久4年8月17日(1193年9月14日)、源範頼は源頼朝に謀反の疑いをかけられ、修禅寺に幽閉、殺害されています。
『保暦間記(ほうりゃくかんき)』、『北條九代記』には誅殺されたと記されていることから頼朝の妻・北条政子の陰謀説もささやかれるが定かでありません。

源頼朝と北条政子の嫡男である源頼家は、18歳で第2代征夷大将軍(鎌倉殿)になるものの病に伏し、その間に弟の源実朝が征夷大将軍に就任。
源頼家は母の政子により修禅寺に幽閉され、元久元年7月18日(1204年8月14日)、北条氏の手兵によって入浴中に殺害されてしまいます。

もっと読む
行きたい
行った
お問い合わせ
御朱印背景
NEWSLETTER

最新の限定御朱印情報が届く!

御朱印メルマガを受け取ろう

※購読はいつでも解除できます。利用開始をもって利用規約プライバシーポリシーに同意したものとみなします。
This site is protected by reCAPTCHA and the GooglePrivacy Policy andTerms of Service apply.
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ