ふじせんげんぐう
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807年坂上田村麻呂が富士浅間神社より分霊を勧請して創建されたと伝わる。
天正年間(1573年~1592年)武田の兵火により焼失したが、1590年地頭・本間源三郎重泰が再建し、1638年久野城主・北条氏重により現在地に遷された。
1590年再建の本殿は重文指定されている。
拝殿
拝殿
本殿
本殿
本殿
本殿
八王子社
天伯社・齋宮司(しぐし)社・神明神社・稲荷神社・秋葉神社・富士神社
天伯社・齋宮司(しぐし)社
神明神社・稲荷神社
秋葉神社・富士神社
谷田宮社
楼門礎石
1855年の地震で楼門が倒壊し礎石だけが残る
神門
【遠江國 式内社巡り】
冨士浅間宮(ふじ・せんげんぐう)は、静岡県袋井市国本にある神社。式内論社で、遠江國の三之宮論社。旧社格は郷社。祭神は木花開耶姫命。本殿は国指定の重要文化財。
社伝によると、平安初期の807年、征夷大将軍の坂上田村麻呂が東征の折、浅間大神の神力により東国を平定したことから、その報恩のため創建、併せて太刀を奉納した。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「遠江國 山名郡 郡邊神社 小」の論社となっており、他の論社としては赤尾渋垂郡辺神社(袋井市)、七ツ森神社(袋井市)がある。戦国時代の天正年間(1573年~1592年)には武田氏の兵火により焼失したが、1590年に地頭の本間源三郎が再建、江戸時代の1638年に久野城主・北条氏重により現在地に遷座した。
当社は、JR東海道本線・愛野駅の北北西2kmあまりの小丘の上にある。境内のある小山のすぐ南側に東名高速道路が通っていて、さらに南側数百mのところに鳥居があることから、参道や境内地が高速道路建設で分断されたのだと思われる。現在は、高速道路のすぐ北にある東向きの細い階段が参道。丘の上の平地は広々としていて、参道突き当りに手水舎があり、右に行くと当社、左に行くと摂社・原川浅間宮がある。見どころは、国指定の重要文化財になっている本殿。味のある古めかしい拝殿と合わせて、時の流れを感じさせてくれる趣がある社殿となっている。
今回は遠江國の式内論社、三之宮論社ということで参拝することに。参拝時は休日の午後、自分以外には参拝者はいなかった。
境内南端にある<社号標>。階段は東向きで、途中で右向き(北向き)に曲がる。この場所のすぐ南側に東名高速道路が通っていて、その下を通るトンネルがある。
(地味な入口なので、最初に横を通る時は見逃してしまった。(^_^;))
階段を登り切ったところにある<鳥居>。
鳥居から振り返ると、(写真では分かりにくいが)東名高速道路が見える。
鳥居をくぐって参道を進むと<神門>がある。
神門をくぐったところから参道の先を望む。
参道の突き当りにある<手水舎>。ここから右に進むと当社。左に進むと当社境内摂社の<原川浅間宮>。
高木の林を抜けると社殿が見えてくる。
<社殿>遠景。高木が林立する中にあって、社殿周りだけぽっかり空が開いている。
拝殿前左側の<狛犬>。
拝殿前右側の<狛犬>。
<拝殿>全景。屋根が低いので横に長く見える。
<拝殿>正面。古い拝殿なので高さが低い。
<拝殿>正面上部の扁額。
<拝殿>内部。ひろびろ。建物は古いが、非常にきれいにされている。
拝殿に向かって左側にある建物。
建物前から見た<社殿>全景。大きく威風堂々としている。
拝殿後ろの<幣殿>と<本殿>。本殿は室町時代の特色を示す三間社流造、檜皮葺で、桃山時代の1590年に建立され、江戸前期の1638年に現在地に移築されたもの。檜皮葺の屋根は2018年に葺き替えられている。国指定の重要文化財。
美しい造形の<本殿>。シンプルな躯体に檜皮葺の屋根の美しさが際立つ。
社殿左側奥にある<八王子社>。
本殿後方にある境内社群。左から順に<天伯社>、<齋宮司(しぐじ)社>、<神明神社>、<稲荷社>、<秋葉神社>、<冨士神社>。
社殿右側奥にある<谷田宮社(やだのみやしろ)>。
社殿右側から見た<本殿>。
拝殿の右側にある<社務所・神饌所>。
最後に<社殿>全景。
参拝を終え車に乗り、東名国速道路の下を通るトンネルを抜け500mほど南下すると国道1号線に出る。信号待ちでボケっと前方を見ていたら、さらに南に<一の鳥居>を発見。かつては一の鳥居から社殿まで1km近くあったと分かりびっくり。(^▽^)/
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