はままつはちまんぐう
浜松八幡宮のお参りの記録一覧
浜松城を後にしまして、最後に浜松八幡宮へ。大河ドラマ『どうする家康』のロケ地としても知られており、多くの参拝者が訪れていました。家康が隠れたとされる楠はとても大きく、自然の偉大さを感じることができました。
浜松八幡宮を参拝したときの記録です.
遠州鉄道沿いで賑やかな場所のイメージでしたが,いざ境内に入ると厳かで静かな雰囲気でした.
「八幡宮」や「八幡神社」というように八幡の名の付く神社はすべて同じ神様とお祀りしていて,誉田別命や品陀和気命こと第15代応神天皇を祀っていることで知られています.
一般的にはこの品陀和気命に加えて母である息長足姫命をお祀りしていることが多いようです.
息長足姫命は神功皇后として摂政に就かれていたことで有名ですね.
この浜松八幡宮では,近隣神社で祀られている伊弉諾尊や伊邪那美尊,玉依比売命が本殿に祀られているそうです.
八幡太郎で知られる源義家がこの神社を訪れて歌を詠んだことなど源氏を中心に武家に伝わる神社としてこの神社は知られており,家康公も開運招福・武運長久を祈って度々参拝したと言われています.
落ち着いた雰囲気で心地よい時間を過ごすことができました.
令和5年6月18日浜松散策2️⃣
元城町東照宮から地図を頼りに椿姫観音を目指したのですが‥😅
遠回りした様で浜松八幡宮に辿り着きました⛩🌿
主祭神 玉依比売命
品陀和気命
息長足姫命
相殿神 伊弉諾尊
伊弉冉尊
境内は浜松稲荷神社と東照宮も鎮座されています⛩
浜松八幡宮には1572年、三方原の合戦で甲斐の武田信玄公に敗れた徳川家康公は武田方の追っ手を逃れて八幡宮境内に辿り着き、楠の洞穴に身を潜めたと伝わる「雲立楠(くもたちのくすのき)」が有ります🌳
その時、洞穴の中で家康公が一心に八幡神を拝すると楠より瑞雲が立ち昇り白馬に跨った老翁が現れて浜松城に家康公を導いたと言われています🫏☁️☁️
此方は大河ドラマ館で松潤が訪れている写真が有り時間があれば行きたいと思っておりました😃
迷ったのが幸いしました💕
雲立楠。樹齢1000年を超えている。
手水
参道
社殿
稲荷社。
雲立楠。
御朱印は書き置きでした。
東照宮の御朱印も頂きました。
浜松市中区の八幡様。
とても静かで凛とした雰囲気が漂う
主祭神の三柱と縁結びの神様イザナギ、イザナミのミコトも祀られています。敷地内には披露宴会場もあって便利でいいですね。当日も結婚式を挙げていて、神前式の和風の良さを感じました。
浜松城を居城とした家康が、鬼門となるこの八幡宮を鎮守の杜として信仰し参拝も度々していたと言われています。
有名な逸話は、御神木の楠です。
武田信玄と三方ヶ原の戦いで大敗、追撃から逃げる際、木の洞穴に隠れて助かった。その時、楠から吉兆を表す雲が立ち上がったという伝説があります。
駐車場はあり
お稲荷様もあります
制札
手水舎
破風板には葵の御紋
雲立の楠 歴史の浪漫
真中辺りが、洞穴
大きな楠の木です
時間的に無理かな・・・と思いつつ、浜松八幡宮を訪問。
JR浜松駅から徒歩でも行けるようですが、遠州鉄道に乗り、八幡駅で下車。
そこから徒歩1分程度でした。
社務所が閉まるギリギリの時間でしたが、御朱印を頂くことができました。
社殿の前にある「雲立楠(くもたちのくす)」
樹齢1000年を超える巨樹で、下部に大きな空洞があります。
三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れた徳川家康が、武田方の追手を逃れて
八幡宮境内に辿り着き、この楠の洞穴に身を潜めたと伝わっているそうです。
浜松市・家康の散歩道を歩きながら浜松八幡宮で御朱印をいただきました。
樹齢千年をこえる雲立楠、思わず深呼吸をしたくなるものでした。
浜松といえば鰻、「八百徳」さんで食べてきました。
ランチは「さわやか」ハンバーグ
夜は「八百徳」のうなぎ。
直書きでいただきました
駐車場あります
ご朱印あります
鳥居
参道
参道
手水舎
雲立の楠(浜松八幡宮)
雲立の楠(浜松八幡宮)
摂社 東照宮
摂社 東照宮
末社 浜松稲荷神社
末社 浜松稲荷神社 参道
末社 浜松稲荷神社 参道
末社 浜松稲荷神社
浜松八幡宮
雲立の楠(浜松八幡宮)
社務所
【遠江國 式内社巡り】
浜松八幡宮は、静岡県浜松市中区八幡町にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。祭神は、品陀和気命、玉依比売命、息長足姫命の3柱。境内には徳川家康が三方原合戦での敗走時に隠れて命拾いした「雲立の楠」がある。現在は国の天然記念物。
創建は不詳。社伝によると、仁徳天皇の御代、遠津淡海の鎮静のため、海運の神として玉依比売命を祀ったのが始まり。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「遠江國 敷智郡 許部神社 小」の論社とされており、その他の論社としては息神社(浜松市)がある。938年に神託により、それまで鎮座していた許部の里(現・浜松市南区小沢渡町)から現在地へと遷座した。また1051年には源義家(八幡太郎)により八幡二柱の神が勧請され、武家庶民の崇敬を集めた。1570年に徳川家康が浜松城主となると、当社を鬼門守護の氏神として武運長久を祈り度々参拝、1572年の三方原合戦で敗走した家康は当社境内の楠の洞穴に潜み武田勢の捜索を逃れた。1603年に家康が征夷大将軍に任ぜられると社領50石を与えられ、以後幕府から歴世朱印を与えられた。明治時代に入り、近代社格制度のもと郷社に列した。太平洋戦争末期、1945年6月に米軍による浜松空襲により浜松市街地は焦土と化したが、当社は難を逃れた。
当社は、JR東海道本線・浜松駅から遠鉄電車で1駅の、八幡駅東口すぐの平坦な市街地にある。境内は広々としていて、とても旧郷社とは思えない。浜松空襲の影響がなかったというだけあって、境内は緑豊かで、特に社殿前に立つ、徳川家康が武田軍から隠れたという楠の巨木「雲立の楠」は見事。
今回は、遠江國の式内論社ということで参拝することに。参拝時は平日の夕方で、参拝者は自分以外にも数人見掛けた。
境内南端入口全景。松の古木はいずれも高く、広々とした印象。
入口左側にある<社号標>。左隣の石碑には「天然記念物 雲立の楠」とある。
いよいよ鳥居をくぐる。扁額には「濱松八幡宮」とある。
参道右側にある<社務所>。御朱印はこちら。
参道進んで右側にある<手水舎>。
手水舎前から社殿を望む。樹木が邪魔で、右半分はよく見えない。
参道左側の<狛犬>。
参道右側の<狛犬>。
参道右側の大木。幹枝が太く、八方に伸びる様はまるで八岐大蛇。
根本にある石碑には「東照宮御由緒 雲立楠」と刻まれている。
これが雲立ち楠の根周り。かなりの大迫力!(;゚Д゚)
<拝殿>全景。旧郷社としては、かなり大きな構え。
<拝殿向拝>全景。彩色はなく彫刻は少なく簡素。
<拝殿>正面。扁額は掛かっていない。
拝殿の右横から裏手に廻る。長い<幣殿>とその後ろに<本殿>。
<本殿>は大きな拝殿に比べるとややコンパクトか。
社殿の右側にある<稲荷神社の鳥居>。面白いことに3コースあるが、同じ社殿に辿り着く。
<稲荷神社>全景。
稲荷神社の右側にも参道がある。突き当りには<東照宮>がある。
<東照宮>全景。
東照宮、稲荷神社、本殿の配置はこの写真の通り。手前が東照宮。
もう一度、雲立楠を見に行く。まずは裏から。
次に表から。なかなかお目に掛かれない巨大サイズ。
境内南端入口から見た南方向の景色。使われていないが参道跡がある。(^▽^)/
浜松八幡宮に参拝して来ました。
徳川家康公が浜松入城以来、武家の守護神等の氏神として信仰し、開運招福や武家長久を祈って参拝したと言われてます。
境内の東照宮の御祭神は徳川家康公です
入口に鳥居です
石碑です
由緒です
本殿前です
雲立のクスです
説明書きです
浜松稲荷神社の鳥居です
浜松稲荷神社です
説明書きです
境内にあった東照宮です
説明書きです
御朱印です
浜松の市街地にありながら大きな戦災も受けなかったので、境内には松、楠、椎の大木が茂り、浜松市の保存樹林に指定されています。主祭神は品陀和気命(ほんだわけのみこと)、玉依比売命(たまよりひめのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)の3柱。境内には天然記念物の指定を受けている巨樹「雲立の楠」があります。三方原の合戦に敗れた徳川家康公がこの楠木の洞窟に身を隠し無事に浜松城に逃げ帰ることができた、このとき梢に瑞雲が立ち上ったという伝説から「雲立の楠」と言われるようになりました。
境内には、松島十湖の「はままつは出世城なり初松魚」の句碑や、五代目颯々の松があります。
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