こうしょうじ
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楽しみ方興聖寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年07月20日(日) 21時14分00秒
参拝:2024年11月吉日
「十兵衛、麒麟がくる道は遠いのぅ..」
向井理さんの足利義輝が興聖寺庭園を眺めながら明智光秀に呟く儚くも美しいシーン。今だに目に焼きついている大河ドラマ「麒麟がくる」
同じ景色を眺めながら秋にお参りをして来ました。
私、今だに「麒麟がくる」ロスかも😂
興聖寺は戦国時代には都での戦乱を逃れ、室町幕府の12代将軍・足利義晴や13代将軍・義輝がここ朽木で幕府の政務を行いました。領主の朽木氏が将軍の親衛軍である奉公衆であったこと、そして朽木は越前と京都を結ぶ街道沿いにあり、いざとなれば日本海側へ避難できることも理由だったようです。義輝は計6年あまり滞在し、1万人の勤め人が居住したといわれます。
興聖寺は江戸時代に、現在の場所に移りました。
向井理さんの足利義輝が興聖寺庭園を眺めながら明智光秀に呟く儚くも美しいシーン。今だに目に焼きついている大河ドラマ「麒麟がくる」
同じ景色を眺めながら秋にお参りをして来ました。
私、今だに「麒麟がくる」ロスかも😂
興聖寺は戦国時代には都での戦乱を逃れ、室町幕府の12代将軍・足利義晴や13代将軍・義輝がここ朽木で幕府の政務を行いました。領主の朽木氏が将軍の親衛軍である奉公衆であったこと、そして朽木は越前と京都を結ぶ街道沿いにあり、いざとなれば日本海側へ避難できることも理由だったようです。義輝は計6年あまり滞在し、1万人の勤め人が居住したといわれます。
興聖寺は江戸時代に、現在の場所に移りました。

将軍を慰めるために作庭した国指定の名勝「旧秀隣寺庭園(足利庭園)」が残っています。池のなかに鶴や亀に見立てた岩島を配し、樹齢500年近い老ツバキや、モミジなどが見事な枝ぶりで茂っています。岩を覆うコケが長い年月を物語り、厳かで幽玄な世界へ誘われます。この庭は千利休も訪れたといわれています。

駐車場から苔むした参道を歩きます

お地蔵様

木で組んだ山門でしょうか

釣鐘楼
紅葉はこの日が見頃だったようです。
紅葉はこの日が見頃だったようです。


本堂


旧秀隣寺庭園
老椿や紅葉の木々
足利義輝公どんな気持ちで眺めていたのでしょう。
朽木は雪深い地。
老椿や紅葉の木々
足利義輝公どんな気持ちで眺めていたのでしょう。
朽木は雪深い地。






鯖街道、朽木。
ここに来たら鯖寿司でしょう!
お蕎麦のセットで☘️美味しかったですよ。
こちらのお店、ワンコの室内飲食場所ありです。助かります☘️
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すてき
みんなのコメント(4件)
しんナナさん、おはようございます🌻
イチョウやモミジ、秋の興聖寺もいいですね〜🍁
まだ「麒麟」ロスなんですか😅
2025年07月21日(月) 09時18分00秒
しんさん こんにちは☘️
紅葉の興聖寺、趣があり素敵でした。今度は椿の時期に訪れたいです😊
「麒麟がくる」は今だに音楽と共に映像がよみがえります😅💦
2025年07月21日(月) 17時01分14秒
ナナさん、こんばんは😊
ワタクシも「麒麟がくる」が大好き💕で、この義輝様と十兵衛の「麒麟がくる道は…」のシーンは目に焼きついております☺️
テーマ音楽とともに素晴らしい大河ドラマでしたね❣️
興聖寺さんはそれより遥か昔、関西花の寺巡礼でお参りしたことがあります。
京都からバスを乗り継いで、とても遠かったような…でもナナさんの投稿を拝見して、また行きたくなりました😉
2025年07月22日(火) 01時42分04秒
花散里さん こんにちは☘️
興聖寺、京都からでも遠いですよね。昔は鯖街道、京都まで歩いていたんですよね😆
私も関西花の寺巡礼の地、今回はお花は咲いていなかったので
違う季節にお参りに行かなくては♪
まだまだ麒麟がくるを引きずりそうです💦
2025年07月22日(火) 14時34分58秒
投稿者のプロフィール

ナナ607投稿
ゆっくり、のんびり御朱印巡り⛩🙏 神社仏閣の由緒由来、気になり調べてみても、三歩あるけば忘れてしまう自分が怖い😅 ゆるい感じで投稿します🍀 2018年10月22日より御朱印巡り開始♪ もっと読む
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