そうあんじ|浄土宗|弘誓山
宗安寺のお参りの記録一覧
山門の右手から入って境内に駐車できます。
地元で「赤門」といえばこのお寺だとみんな分かるのですが、お参りしたのはこれが初めてでした。
中には貴重な古い仏像などが沢山あるほか、高級旅館のようないい雰囲気のお部屋があり、お庭も綺麗でした。もちろん本堂のなかも、とても大きな涅槃図があるなど素晴らしいものでした。
(御朱印第1185号)
直書き
赤門と言わないと、宗安寺では伝わらないかも。
ここからではよく見えないので、中に入って拝観がおすすめです。
拝観入口
彦根、夢京橋キャッスルロード の中程にあるお寺です。
大きな赤門が目を引きます。
南側墓地内には、大坂夏の陣で戦死を遂げた豊臣秀吉方の勇将木村重成公の首塚があります。
御朱印は書き置きでしたが、丁寧に御朱印帳に貼って頂きました☘️
赤門
石田三成公の佐和山城門と伝わります。
手水舎
本堂
厄除猿
地蔵堂と血染めのすすき
此方の脇にある墓地に木村長門守重成公の首塚があります。
行者堂
鬼瓦
聖観世音菩薩様
お寺前の用水路に鯉が泳いでました。
やっぱり彦根に来たら、クラブハリエのケーキ🍰
珍しく空いていましたが、出る時は行列が😱
密を避けお土産を買うのは諦めました。
正式名:弘誓山天白院宗安寺
滋賀県彦根市、彦根城下の中心にある浄土宗の寺で、彦根藩初代藩主・井伊直政の正室・東梅院が安国寺を再興したのが始まり。
もともとは箕輪城下(現・群馬県高崎市)にあった足利尊氏、足利直義開山の寺だったが、井伊直政とともに、高崎城下、佐和山城下、そして彦根城下へと移ってきた。
佐和山城下に移った際に、関ヶ原の合戦で西軍の将・安国寺恵瓊の名の安国寺を避け、開基である東梅院(井伊直政正室)の父・松平康親の戒名・無月宗九居士の「宗」と母の戒名・心誉理安大姉の「安」をとって「宗安寺」と改めた。
その後、二代藩主・井伊直孝の彦根城と彦根城下町の建設に伴い、大手町(現在の夢京橋キャッスルロード)に移されました。
道路に面した朱塗りの山門(通称赤門)は創建時に佐和山城(彦根城築城で破却)の城門を、そして本堂は江戸時代中期に長浜城付属御殿を移築したもの。
本尊・阿弥陀如来立像は大坂夏の陣の際、淀君の念持仏だったという伝承がある。
江戸時代には朝鮮通信使の宿となり、「李朝高官肖像画」がいまも伝わっている。
小堀遠州風の「白露の庭」も見どころである。
毎年、大晦日は彦根城に行って1年を振り返ります。
(今年は時間がなくて登城できませんでしたが)
この夏、彦根城と宗安寺が近いことに気付いてお参りしたので、今日も宗安寺へ行きました。
宗安寺の歴史に関しては、
前回、お参りした投稿で詳しく書きました。
赤門
この一年
何ができたか
年の暮れ
本堂
こないだは気づかなかった鬼瓦。
春日さん以外の鬼瓦は初めて見ました。笑
昔、親戚がこの宗安寺で開催されたなんでも鑑定団に出たり、キャッスルストリートを歩くとよく目にしていたのですが、初めてちゃんとお参りしました。
そもそも井伊さんから徳川家康の位牌を任されていたお寺なのですが、なんと本尊は淀君の持ってた仏さん。
そして、参拝者を迎える赤門は石田三成の佐和山城の門を移築したものと言われています。(石田三成の持ってた仏さんもいらっしゃいました。)
高まったのは、井伊さんはめちゃくちゃ徳川四天王と言われるほど徳川派なのに、戦った敵が大切にしていた仏さまをその後400年以上、大切に守って受け継いできたことです。
住職さんも丁寧に案内して下さりましたし、
心を落ち着かせて、お参りしてきました。
佐和山城の門を移築
ここにも鬼さんが。
良き。
この並びすごいよね。共存してる。
夜はライトアップされるのかな?
JR彦根駅より彦根城方面へ徒歩15分。浄土宗寺院。ご本尊の阿弥陀如来は、大坂夏の陣で淀君が念持仏と思われる仏像を持ち帰ったものと言われています。
朱塗りの大きな門があるところから「赤門寺」と呼ばれています。
室町時代に開創。井伊直政の正室である東梅院の父母の菩提を弔うために建立された「安国寺」が始まり。
その後佐和山の山麓に移転されましたが、彦根城の築城の際に現在地へ移されました。
朱塗りの赤門。佐和山城の大手門の遺構を移築したものです。
通用門は別称「黒門」と呼ばれています。
本堂です。ここの右奥が寺務所になっており、庭園を拝観することができます。
本堂の左手が地蔵堂です。
右手が行者堂です。
行者堂の後ろには鐘楼堂です。
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