しがけんごこくじんじゃ
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楽しみ方滋賀県護国神社のお参りの記録一覧
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ご遙拝させて頂きました。
本年3月、大津市の日吉大社さままでは行ったので、寄らせて頂ければ、とは思っていたのです。
でも、やっぱり時間的に無理でした。
ただでさえ、「大津市」と言っても、宿泊して、朝一番で一宮の「建部大社さま」へお詣りさせて頂きましたのは、「瀬田」。
先の大戦で、「戦艦・比叡」に乗務していた親戚のため、お詣りさせて頂きましたのは、「坂本」。
たった2か所お詣りするだけで、移動も含め、半日もかかってしまいました。
「滋賀県」には、他にお詣り申し上げたいところがたくさんあったのですが、滋賀縣護国神社さまにおかれましても、お詣りは無理でした。
さすがに、先の大戦の「戦艦・比叡」の「守護神」にお詣りしたなら、その地の「護国神社さま」にお詣りしなければ・・・。
その様な中、滋賀縣護国神社さまにおかれましては、「御朱印」の「ご遙拝」における「郵送対応」をしていただけるとか。
そこで、電子メールにてご連絡を差し上げました。「出来れば、「御朱印・二躰」お願い申し上げたい。「ゆかりがある御朱印帳用」の分と、「護国神社詣り用御朱印帳」の分」と。
その上、「数量限定御朱印」であります、「狐に秋草文様」をお願いしました。
そうしますと、ご快諾下さいまして、「先に初穂料などお納めしたい」と申し出ておりましたが、「後から振替用紙で構わない」との事でした。
送付されてきましたら、「郵便振替用紙」に、「初穂料」のみの金額しか記入されておりません。
後からワタシが「郵送・手数料」や「お賽銭がわり」として、金額を増やし訂正して、「振込」を行いました。
「初穂料」をお納めしましたので、投稿します。


【全国 護国神社巡り】
滋賀県護国神社は、滋賀県彦根市尾末町にある神社。旧内務大臣指定護国神社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は、戊辰戦争から第二次世界大戦までの滋賀県関係の戦没者3万4千余柱。
1869年に彦根の大洞龍潭寺に戊辰戦争で戦死した彦根藩士26人の霊を祀る招魂碑が建てられたのが始まり。1875年、元彦根藩主・井伊直憲の主唱により招魂碑が現在地に移され、翌1876年に社殿を造営、鎮座した。1939年に内務大臣指定護国神社として「滋賀県護国神社」と改称した。戦後GHQ占領期に「沙々那美神社」と改称したが、日本の主権回復後1953年に元の社名に復称した。
当社は、JR琵琶湖線・彦根駅の北西500mの平地、彦根城址の東端にある。彦根駅だと西口の駅前通りの突き当りにあたる。左手に彦根城のお堀を見ながら橋を渡ると、大きな鳥居をくぐって境内地が始まる。護国神社らしい広い敷地は、綺麗に掃き清められていて、心地良い張りのある空気が流れる。入口近くから参道脇に多くの石碑が並んでいる。社殿は左右両側に翌殿を繋いだ拝殿と、その背後に祝詞舎と本殿が直線に並ぶ、これも護国神社らしい造り。
今回は、滋賀県の旧指定護国神社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後、自分以外にも数人参拝者が訪れていた。
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彦根城前に鎮座する神社。
京都からちょっと足を延ばして彦根城に行ったので、
帰りにお参りさせて頂きました。

手書きで頂ける御朱印が2種。
「浦安の舞」(右)と「赤備えの兜」(左)の御朱印。
巫女さんが「浦安の舞」という平和を祈る舞を舞っている朱印と、
彦根藩主「井伊家」の赤備えの兜の朱印がそれぞれに押されます。

「赤備え甲冑」の御朱印


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