がんりゅうじ
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三重・滋賀湖南地区・奈良の寺社仏閣巡りの4寺目は、滋賀県甲賀市甲賀町に在る慈雲山 元龍寺です。
浄土宗で、本尊は秘仏・十一面観音。
この本尊・十一面観音立像は、市指定文化財で、毎年8月10日のみ開帳されます。
元龍寺は、これまで甲賀町滝地区の僅か8戸で護ってこられましたが、お堂の傷みが酷く、維持管理が困難と判断され、本尊・十一面観音は今年(令和5年)3月に近隣の龍福寺に遷されました。龍福寺に遷されましたが、十一面観音の開帳は従来通りに8月10日のみです。
行く前から本尊が元龍寺から龍福寺に遷された事は知っておりましたが、一度は元龍寺へ行かない事には始まらないと思い、先ず元龍寺へ行きました。
パッと見、田舎の藁葺き屋根の上にトタン板を被せた民家の様。元龍寺と書かれた寺号柱があったので直ぐにわかりました。お堂の周りを一回りしてから龍福寺へ向かいました。
5分足らずで龍福寺に到着。龍福寺は2022年2月に参拝しておりますので勝手はわかっています。車を停めて、早速本堂に行きました。元龍寺の十一面観音立像は厨子に入れられており、龍福寺の本尊(薬師如来坐像)の厨子の右側に置かれていて、開扉されていました。間近まで行って拝観させて頂けました。高さ約160cm、ふくよかなお顔で、下半身が長く、すらっとした美しい立ち姿、平安中期の作です。後補と思われる宝冠を被られていて頭上面が見難く、金ピカなのはやや残念(宝冠に目が行ってしまう)でした。
元龍寺の関係者の方々も来られていて、お話を伺うとを十一面観音を龍福寺に遷して安心したご様子でした。
最後に御朱印を頂きました。
龍福寺はびわ湖百八霊場の御朱印ですが、こちらは龍福寺と書かれているものの元龍寺の甲賀8番(甲賀西国三十三霊場 第8番)で、梵字も十一面観音のものとなっている
元龍寺
龍福寺
龍福寺・本堂
十一面観音立像(ネットから転載)
頂いたお札
慈雲山 元龍寺さまに参拝致しました。
この日、近隣にある龍福寺さまに先に参拝しました。
その折に、こちら元龍寺さまの護持、管理が難しくなった為、元龍寺さまの御本尊 十一面観世音菩薩立像さまを龍福寺さまにてお祀りされ、修復を終えて美しくなった御本尊さまの御安置式の真っ最中に遭遇しました。
二度とないこの機会に巡り合い、元の元龍寺さまに参拝して、感謝を申し上げようと訪ねました。
地図を頼りに探し、元龍寺さまの看板を目印に民家の細い路地を入ると畑の中にひなびたお寺がありました。
戦国時代の甲賀武士多喜氏の祖、多喜家継の孫、来峰和尚が弘文八年(1284年)に開基したと 伝わる古刹です。浄土宗としていますが、本来は天台宗と伝わっています。長年、周辺の檀家さん約八軒の方々で管理されてこられましたが、いよいよ護持、管理が難しくなってこられたとのことで、御本尊は近隣の龍福寺さまに移してお祀りされました。
甲賀西国三十三観音霊場第八番札所、また、準四国八十八か所二番札所 としての名刹として広く知られていたようです。
数少ない檀家さんでの長年の護持、管理のご苦労を思いますと、本当に大変であったこととお察し申し上げます。御本尊さまがいらっしゃらなくなったお堂内は何とも寂しく感じましたが、近隣の檀家さんも、龍福寺さまに御安置されて、御安心になられたのではないかと思わせて頂きます。
ただ、札所でもあったので、御朱印等があったのか、もう頂けないのか、どうなってしまうのでしょうか?もしあれば、龍福寺さまにて頂けるとありがたいですね。
人影もなく、ひっそりと佇むお堂の周りには、時期がくれば紫陽花の花が綺麗に咲くそうです。
御由緒書き
御詠歌
「がんりゅうの 慈雲にのりて 滝村の
里はあまねく うるほいぬべし」
本堂内
こちらが龍福寺さまにて御安置された、元龍寺さまの御本尊、木造十一面観音菩薩立像(甲賀市指定文化財)です。
修復を終えられ、美しいお姿でいらっしゃいます。
名称 | 元龍寺 |
---|---|
読み方 | がんりゅうじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
詳細情報
ご本尊 | 木造十一面観世音菩薩立像(平安時代作、甲賀市指定文化財) (現在は近隣の龍福寺にあります) |
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宗旨・宗派 |
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