さいきょうじ|天台真盛宗
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楽しみ方西教寺へのアクセス・駐車場
| 近くの駅 | ◼︎京阪石山坂本線 ◼︎比叡山鉄道線 ◼︎比叡山鉄道線 Googleマップ等で出発地からのアクセスをご確認ください。 情報提供: HeartRails Express |
|---|---|
| 電話番号 | 077-578-0013 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://saikyoji.org/smarts/index/1/ |
駐車場に関する投稿

総門左手に無料駐車場があります。
通行料150円と格安の琵琶湖大橋を渡ってお参りしました。
総門を入ったところの受付で拝観をお願いするとお寺の冊子と拝観順路の説明書をくださいます。
時計回りに境内を巡りますが、大本坊から回廊を渡りながら本堂や客殿、書院をいくつもあるお庭も見ながら拝観できるのが素敵でした。華美なところはありませんが、本堂内の彫刻が素晴らしいのと、とても古い襖絵などが残っているのが印象的でした。
御朱印は大本坊でお願いし、本堂などを拝観している間にお書入れいただきます。
(御朱印第1188号、第1189号)

直書き

直書き

総門

参道

勅使門

唐門

唐門から琵琶湖が見えます

宗祖大師殿

本堂

本堂と大本坊をつなぐ回廊

大本坊

大本坊入り口


本堂への回廊






客殿

滋賀県大津市にあるお寺です。
参拝者駐車場が広くて 山門すぐ横にありますので 参拝しやすいです。
境内がとても広く 山門をくぐって左右に境内塔頭が複数あります。
お参りして帰られる方が 「大河ドラマのおかげちゃう?」 と言っていました。
大河ドラマで明智光秀が取り上げられたことで こちら明智光秀公とその一族の菩提寺が脚光を浴び 参拝者が増えた という意味なのかなぁ?と思いました。
私がお参りした感覚ですが 大河ドラマ関係ないですね。
そもそも立派な寺院です。参拝者は増えたかもしれませんが。
勅使門の前を通り 本堂に続く石段を上がろうとしましたら 夏らしく風鈴がたくさん飾られていました。
山に建てられていることもあり いい風が吹き 素敵な音色を奏でていました。
こちらにはアップできませんが しっかり動画で撮りました。
本堂手前には手水舎があるのですが 写真を見ていただくと分かると思うのですが 煙がもくもくと出ているのです。
こちら高周波の電流を流して 加湿器のように水を水煙に変えていたのです。
素敵な演出です。初めて見ました。
まずは明智光秀公とその一族の墓前で手を合わせました。
謀反を起こしたということで悪いイメージがありますが きっと明らかになっていない史実があるはずです。
続いて 本坊から上がって本堂にお参りします。
こちらにも風鈴の飾りつけがされていて 一つだけ金色の風鈴がありますので探してください とのことでした。(見つけた人は御朱印に特別の印を付け加えてくださいます はい見つけました)
廊下には 阿弥陀如来二十五菩薩石像がありました。
それぞれに表情豊かで じっくり見てしまいました。
最後に 宗祖大師殿と御廟と観音堂をお参りしました。
じっくり見て回ると 1時間以上かかりました。
ネット情報です。
山号は戒光山(かいこうさん) 宗旨宗派は天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう) 寺格は総本山 ご本尊は阿弥陀如来(重要文化財) 創建年は伝・飛鳥時代 開基は伝・聖徳太子 中興年は文明18年(1486年) 中興は真盛です。
思いっきり古刹でした。
西教寺は室町時代の文明18年(1486年) 中興の祖とされる僧・真盛が入寺して以降 天台念仏と戒律の道場として栄えるようになったが それ以前の歴史は必ずしも明らかでない。
草創については 『西教寺縁起』や近世の地誌類には推古天皇26年(618年) 聖徳太子が師である高麗の僧慧慈 慧聡のために建立したとする説もあるが これは伝説の域を出ないものである。
真盛の弟子にあたる真生が明応4年(1495年)に著した『真盛上人往生伝記』によれば 西教寺は比叡山中興の祖である良源(慈恵大師 元三大師)が建てた草庵に始まり その弟子で『往生要集』の著者として知られる源信(恵心僧都)が伽藍を整えたという。
良源と源信はいずれも平安時代中期 10世紀に活動した人物である。
西教寺と良源および源信との結び付きについても確証はなく その後鎌倉時代末頃までの歴史も判然としないが 比叡山と関係の深い一寺院として平安時代中期頃に草創されたものと推定される。
元亀2年(1571年) 織田信長による比叡山焼き討ちの際に西教寺も焼失した。
比叡山焼き討ちの後 近江国滋賀郡は明智光秀に与えられ 光秀はこの地に坂本城を築いた。
光秀は坂本城と地理的にも近かった西教寺との関係が深く 寺の復興にも光秀の援助があったと推定されている。
光秀が戦死した部下の供養のため 西教寺に供養米を寄進した際の寄進状が寺に現存している。

境内案内図

由緒書

立派な山門

明智光秀公と一族の菩提寺 とあります

沢庵禅師の碑

山門は大きいです

護猿(まもりざる)の由来

風車がお出迎え

微笑み地蔵尊 かわいらしいねぇ

勅使門

寺号の石柱

由緒書

本堂に続く石段には風鈴が飾られていました

かなりの数です いい音でした

手水からもくもくと煙?

高周波の電流を流して 水煙を出していました

明智光秀公と一族の墓 妻煕子の墓

明智一族と西教寺の繋がりについて

妻煕子の供養塔

一族の墓について

明智光秀一族の墓

そろばんを持ったお地蔵様

鐘楼

鐘楼の説明

本坊

大本坊について


本堂に続く渡り廊下

奥は客殿

由緒書

本堂内陣



おみくじ おみくじの元祖と書かれていました

大吉でした!

欄間の彫刻が見事


客殿

客殿の庭園

説明

見事です

書院庭園 見事です

説明

欣浄廊 本堂と本坊の間の廊下です

阿弥陀如来二十五菩薩石像が置かれています

表情が豊かです

楽器などをお持ちです

唐門

説明


宗祖大師殿


東門

ご詠歌

水屋

放生池

石段の上に 宗祖真盛上人御廟

説明

御廟


扁額

染殿(五輪塔) この大きさでも塔?

説明

観音堂

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