ひよしたいしゃ
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日吉大社ではいただけません
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日吉大社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年06月12日(土)
参拝:2021年4月吉日
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
かつては日吉社(ひえしゃ)と呼ばれていて、全国に約3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いである神猿(まさる)とする。西本宮と東本宮を中心とする40万m2(東京ドームの8.5倍)の広大な境内は、国の史跡に指定されている。鳥居は独自の形式で「山王鳥居」(合掌鳥居)と呼ばれる。
社伝によると、崇神天皇7年(紀元前91年)、日吉社は御祭神・大山咋神(おおやまくいのかみ)が坐する日枝の山(比叡山)山頂から現在地に移ったことをもって創建としている(東本宮)。一方、西本宮の御祭神・大己貴神については、667年の大津京遷都に際し、大津京鎮護のため大和国大神神社の御祭神である大物主神を大己貴神として勧請し、新たにし西本宮を立てて祀った。
奈良時代の788年、最澄が比叡山上に比叡山寺(のちの延暦寺)一乗止観院(のちの根本中堂)を建立し、比叡山の地主神・大山咋神を祀る日吉社を守護神として崇敬する。794年の平安京遷都により、日吉社は京の鬼門にあたることから、鬼門除け・災難除けの社として国から崇敬されるようになった。その後、延暦寺の勢力が増してくると、日吉社と神仏習合するようになり、日吉社の神は唐の天台宗の本山である天台山国清寺に祀られていた山王元弼真君に倣って山王権現と呼ばれるようになり、延暦寺では山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結び付けて山王神道を説いていくようになった。室町時代にはますます山王信仰が盛んになり、境内に108社、境外に108社の摂社・末社を持つほどに隆盛を誇った。
近世では、1571年に織田信長の比叡山焼き討ちにより日吉社も灰燼に帰したが、信長の死後、豊臣秀吉と徳川家康はともに山王信仰が篤く、特に秀吉は幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」だったこのともあり、再建に尽力した。
1868年、明治政府から神仏分離令が出ると、日吉社は率先して仏教色一掃、延暦寺から独立して「日吉大社」と名乗り、延暦寺に対して社殿の引き渡しを要求、拒否されると社殿に乱入し仏像や経典を破壊し焼き捨てるなどした。これが廃仏毀釈が全国に広がるきっかけとなった。
当社は、琵琶湖の南西岸にあり、京阪電鉄石山坂本線・坂本比叡山駅の西方1kmの比叡山の裾野にある。境内は広大で、大きく分けると西本宮と東本宮があって、2つの大神社が併設されているようなイメージ。一般には、西本宮、奥宮、東本宮、大宮橋、日吉東照宮の5つのエリアがあるとされる。多少のアップダウンはあるが、参道はきれいに整備されていて歩いて回りやすい。
参拝時は週末の午後遅めの時間(16時過ぎ)で、駐車場の係員の人に「16時半に閉門だがそれでもいいか」と聞かれたが、せっかく来たのでと思い参拝することに。ただ、西本宮にたどり着くとすでに16時半になってしまい、神職の方々がすごい勢いで閉門の準備をしていたので、今回は西本宮エリアだけはしっかり廻ることに方針変更。もちろん要再参拝。
かつては日吉社(ひえしゃ)と呼ばれていて、全国に約3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いである神猿(まさる)とする。西本宮と東本宮を中心とする40万m2(東京ドームの8.5倍)の広大な境内は、国の史跡に指定されている。鳥居は独自の形式で「山王鳥居」(合掌鳥居)と呼ばれる。
社伝によると、崇神天皇7年(紀元前91年)、日吉社は御祭神・大山咋神(おおやまくいのかみ)が坐する日枝の山(比叡山)山頂から現在地に移ったことをもって創建としている(東本宮)。一方、西本宮の御祭神・大己貴神については、667年の大津京遷都に際し、大津京鎮護のため大和国大神神社の御祭神である大物主神を大己貴神として勧請し、新たにし西本宮を立てて祀った。
奈良時代の788年、最澄が比叡山上に比叡山寺(のちの延暦寺)一乗止観院(のちの根本中堂)を建立し、比叡山の地主神・大山咋神を祀る日吉社を守護神として崇敬する。794年の平安京遷都により、日吉社は京の鬼門にあたることから、鬼門除け・災難除けの社として国から崇敬されるようになった。その後、延暦寺の勢力が増してくると、日吉社と神仏習合するようになり、日吉社の神は唐の天台宗の本山である天台山国清寺に祀られていた山王元弼真君に倣って山王権現と呼ばれるようになり、延暦寺では山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結び付けて山王神道を説いていくようになった。室町時代にはますます山王信仰が盛んになり、境内に108社、境外に108社の摂社・末社を持つほどに隆盛を誇った。
近世では、1571年に織田信長の比叡山焼き討ちにより日吉社も灰燼に帰したが、信長の死後、豊臣秀吉と徳川家康はともに山王信仰が篤く、特に秀吉は幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」だったこのともあり、再建に尽力した。
1868年、明治政府から神仏分離令が出ると、日吉社は率先して仏教色一掃、延暦寺から独立して「日吉大社」と名乗り、延暦寺に対して社殿の引き渡しを要求、拒否されると社殿に乱入し仏像や経典を破壊し焼き捨てるなどした。これが廃仏毀釈が全国に広がるきっかけとなった。
当社は、琵琶湖の南西岸にあり、京阪電鉄石山坂本線・坂本比叡山駅の西方1kmの比叡山の裾野にある。境内は広大で、大きく分けると西本宮と東本宮があって、2つの大神社が併設されているようなイメージ。一般には、西本宮、奥宮、東本宮、大宮橋、日吉東照宮の5つのエリアがあるとされる。多少のアップダウンはあるが、参道はきれいに整備されていて歩いて回りやすい。
参拝時は週末の午後遅めの時間(16時過ぎ)で、駐車場の係員の人に「16時半に閉門だがそれでもいいか」と聞かれたが、せっかく来たのでと思い参拝することに。ただ、西本宮にたどり着くとすでに16時半になってしまい、神職の方々がすごい勢いで閉門の準備をしていたので、今回は西本宮エリアだけはしっかり廻ることに方針変更。もちろん要再参拝。
大通り(県道47号線)沿いにある色鮮やかな<赤鳥居>と背高のっぽの<社号標>。社号標も、ちゃんと上端が三角形に尖っている。
参道を真西に進むと、東向きに建つ<山王鳥居>。日吉大社の惣合神門で、日吉大社独特の形状の鳥居。東に向かっては伊勢神宮をはじめ東日本の神々を、西に向かっては西日本の神々をそれぞれ拝する意味がある。これが全国3800社の元祖かと思うと感慨深い。
山王鳥居の近くにある<惣社>(中央)。山王二十一社(山王上七社、中七社、下七社)の神々を合わせ祀る。平将門調伏祈願の社と伝わる。左にあるのは<子安子立社(こやすこたちしゃ)>。安産・子育て・子孫繁栄の神。
参道を進むと右側に<神馬舎>。「日吉神馬」に「入試」「勝負事」の勝利をお祈りください、と書いてある。
神馬舎の隣、こちらも有名、山王の神の使い<神猿>。神猿とかいて<まさる>と読む。檻の中には本物のおさるさんが2頭。
こちらがスタンディングで自分を大歓迎してくれた<まさる>君。
参道を進むと右手に<白山宮(白山姫神社(しらやまひめ~))>。山王上七社の一つ。
こちらが<拝殿>。壁がない様式。方三間、一重、入母屋造、妻入、檜皮葺。国指定の重要文化財。
拝殿の奥に<本殿>。安土桃山時代の1598年造営、三間社流造、檜皮葺。祭神は菊理姫神。国指定の重要文化財。
本殿の右側に境内社が4社。左から順に<剱宮社(つるぎのみやしゃ)>、<小白山社>、<八坂社>、<北野社>。<剱宮社>は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を祀る、金剱宮(石川県白山市鶴来鎮座)の分霊。山王下七社の一つ。
さらに参道を進むと右手に<宇佐宮>。こちらも山王上七社の一つ。
こちらが<拝殿>。こちらも壁がない様式。桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、檜皮葺。国指定の重要文化財。
拝殿の奥に<本殿>。安土桃山時代1598年の造営、日枝造(ひえづくり)という独特の構造。祭神は田心姫神。国指定の重要文化財。
本殿の左側にある<大宮竈殿社(おおみやかまどのしゃ)>。山王下七社の一つ。大宮(西本宮・大己貴神)の食事・調理を司る神。うしろに<包丁塚>がある。
本殿の右側にある<宇佐若宮>(右)。山王中七社の一つ。
宇佐若宮の前にある<宇佐竈殿社>(左)と<気比社>(右)。<宇佐竈殿社>は宇佐宮・田心姫神の食事・調理を司る神。<気比社>は越前國一之宮・気比神宮の分霊を祀る。山王下七社の一つ。
さらに参道を進むと、いよいよ<西本宮>。こちらも山王上七社の一つ。
楼門の手前左手に石製の<手水舎>。コロナ対策か、右隣に簡易手水がある。
いよいよ楼門をくぐる。心が高鳴る。この楼門は安土桃山時代の1586年頃の造営と推定されている。三間一戸、入母屋造、檜皮葺。東本宮楼門と比べて規模は大きく壮麗とのこと。国指定の重要文化財。(よく見ると、軒下四隅に小さな<猿>がいて、大きな屋根を支えている。芸が細かい!)
神門をくぐると、目の前に<拝殿>。方三間、一重、入母屋造、妻入、檜皮葺。国指定の重要文化財。
<拝殿>正面。壁がないので、奥の本殿が見える。
社殿全景。厳かな雰囲気が半端なく漂っている。
拝殿奥の、国宝<本殿>。1586年に再建、1597年に改造。桁行五間、梁間三間、日吉造、檜皮葺。
拝殿手前左側にある<西授与所>。御朱印はこちら。
西本宮の参拝を終え下って行く。白山宮境内の下、東本宮への通路にある<恵比須社>。事代主神、えべっさんを祀る。
白山宮境内の下にある<救済地蔵(おたすけぢぞう)>。ここで本日の参拝は残念ながら時間切れ終了...
駐車場でクルマをピックアップし、帰る途中で通った<東本宮>参道前。まだ粘っている人々がいた...(^_^;)
日吉大社から琵琶湖に向かう大通りには、満開の桜がいっぱい~♪
すてき
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