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石山寺のお参りの記録(2回目)
滋賀県石山寺駅

投稿日:2025年08月26日(火) 10時24分17秒
参拝:2025年8月吉日
「近江西国」第3番、「湖都大津十社寺」、「びわ湖108霊場」第1番札所です。

石山寺が創建される以前の天智天皇の660年代には石切り場とされていました。
672年の壬申の乱後には現在多宝塔がある地の東側で大友皇子が手厚く葬られました。

聖武天皇の勅願により、747年に良弁が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音像をこの地に祀ったのが始まりです。
聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に金メッキを施すために大量の黄金を必要としていました。
良弁に命じて黄金が得られるよう吉野の金峯山に祈らせました。
良弁の夢に吉野の金剛蔵王が現われ、「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」。夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てました。そしてその2年後に陸奥国から黄金が産出され、元号を天平勝宝と改めました。

如意輪観音像がどうしたことか岩山から離れなくなってしまいやむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが当寺の草創です。
この石山の地は、東大寺を建立するために近江国の甲賀郡や高島郡など各所から伐採してきた木材を集めておく場所で、この地が東大寺や良弁と強い繋がりがあります。

慶長年間(1596年 - 1615年)に淀殿によって石山寺の復興が行われ、1602年には本堂の合の間と礼堂が改築されました。

お参りの後に駐車場にあるレストランで食事をしました。
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
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