うさはちまんじんじゃ
宇佐八幡神社滋賀県 近江神宮前駅
境内自由
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楽しみ方
近江八幡宮駐車場から保育園隣の細い道を抜けて宇佐八幡神社参道へ。鳥居の先にかなりの急な坂道が・・・😅乗り掛かった舟なのでそのまま突撃。すぐに300米の標識がありましたが・・・甘かった😫その300mがずっと登りだったので歩きっぱなしにはなかなかキツイ参道。途中に金殿井という冷水が湧き出ておりこの水がまさに命の水でした😍目いっぱい体を冷やして境内めざし登っていくこと5分ぐらいで境内到着。拝殿に本殿。拝所には御朱印の入った引き出し・・・ん?既視感😲御朱印に由緒が入っており、早尾神社と全く同じスタイル。管理されているのも同じなのでしょう。ただ管理がどちらかなのかさらに別の神社があるのかは今のところわからずでした😅
社号碑
鳥居
参道はなかなかの急な坂道
御足形
同鳥居
参道。なだらかに見えますがまあまあの坂です
ようやくなにかが
表参道と神輿道との分岐点
こちらは神輿道
表参道は金殿井へと続きます
金殿井。冷たい水が癒してくれました🤗
さらに階段が続く
宇佐山城跡への分岐。さすがにその元気も体力も残っておらず😫
境内が
拝殿
手水舎
社務所
本殿
由緒
八幡宮と言えば
唐門
阿
吽と小祠
鳩いっぱい
礎石由緒
稲荷社
拝殿
帰路。神輿道
豊平稲荷とのこと
鳥居参道
祠

近江神宮から国道161号線を挟んで西側の宇佐山に鎮座しています。
少し鬱蒼とした山の中に入っていく感じなので一瞬止めようかな?と思ったんですが、なんとか心を奮い立たせてお詣りしてきました。
途中、ガサガサという音がして「熊か?」と思って青ざめてしまったんですが、ゆっくりそちらの方向を見ると野生の鹿が飛び跳ねて去って行くところでした。
神使だと思い、なんか嬉しくなっていつの間にか諦めずにお詣りしてよかったという心境に。
そして拝殿を前にしたところで、「ここはすごい!」と思ってしまいました。
拝殿の前から神聖な空気が漂っていて、温かく迎え入れていただいたという感じです。
こちらの八幡神社は山の中ということもあり、普段は無人となっているようなので御朱印などまったく期待をしていなかったのですが、拝殿の入り口付近にプラスチックの引き出しケースが置いてあり、なんと書置き御朱印があるじゃないですか!
折れそうになった心を奮い立たせてここまで登ってきた甲斐があったと思い、神様に感謝しながらヘロヘロの足で坂を下って帰路につきました。
治暦元年(1065年)8月15日、源頼義がここに館を構え、鳩の群れが導き示したこの場所に大分の宇佐神宮を勧請したとされます。
そのときに神鳩が現れた岩上には、沓形があり御神示の跡でとされ、御足形と称されています。
ここからほど近いところには、元亀元年(1570年)織田信長の家臣の森三左右衛門可成が宇佐山城を築きますが、戦乱の戦火により社殿は焼失したそうです。
本殿即姪にはびっしりと青い鳩が。
この鳩に名前と年齢を書いて、子供の成長を祈るようになっているそうでうs。
近江神宮からほど近いところに「宇佐八幡宮」と記載。
ここが御足形
さらに参道を進みます
ここで道が二手に分かれたため、「表参道」の方向へ
霊泉「金殿井」
天智天皇の御病気を癒したという霊験あらたかな霊泉と伝えられています
ここから空気感が変わります
神門
本殿
本殿向かって左側
左が蛭子社、
右が高良社。
本殿向かって左側
左が若宮八幡宮
右が丹後宮
本殿の後方にはある礎石
「此の礎石は治暦元年(西暦1605)源頼義公が茲に宇佐八幡宮を創設された当時の柱石の一部で明治の仮殿修復の際ここ中門付近の地中から出土したものであります。
礎石の表面が焼け爛れているのは、山頂に宇佐山城が築かれ、戦乱の戦火で八幡宮も焼失したと伝えられている事を裏付ける貴重なものであります。
其の証として処に保存する」
豊平稲荷社
宇佐八幡宮遙拝所
御朱印
佐八幡宮は、平安時代中期の治暦元年(1065年)に源頼義によって創建されました。源頼義は前九年の役の後、近江国錦織郷(現在の滋賀県大津市)に館を構え、八幡宮を建立しようとしました。その際、神鳩が現れ、頼義を現在の宇佐八幡宮の地へ導いたとされています。こうして、九州の豊前国(現在の大分県)にある宇佐八幡宮から八幡神を勧請し、この地に新たな宇佐八幡宮が誕生しました。以降、この地は「宇佐山」と呼ばれるようになり、神社の名も広く知られるようになりました。
治暦元年に創建された宇佐八幡宮は、かつては壮麗な社殿を誇っていましたが、元亀元年(1570年)に織田信長が築いた宇佐山城の影響で、大きな転機を迎えました。同年、織田信長と浅井・朝倉連合軍との志賀の陣が勃発し、宇佐山城も戦火に包まれました。この際、激戦により森可成が討死し、神社は全焼してしまいました。しかし、その後、地域の人々の手によって再興され、現在の姿に至っています。
宇佐八幡宮は「むし八幡」とも呼ばれ、特に子どもの成長を祈る神社として知られています。境内には、小さな土鳩の人形が奉納されており、これは古くは神への感謝の印として奉納されていたものです。現在では、土鳩は子どもの健康や成長を願う象徴とされ、奉納される土鳩の胴体には子どもの名前や年齢、祈願が記されています。
境内には「金殿井」という霊泉があり、これは天智天皇が近江大津宮にいた際、病を患ったときにこの井戸の水を飲んで回復したと伝えられています。この神聖な井戸の水は、今でも参拝者にとって特別な存在です。
| 名称 | 宇佐八幡神社 |
|---|---|
| 読み方 | うさはちまんじんじゃ |
| 通称 | 宇佐八幡宮、むし八幡 |
| 参拝時間 | 境内自由 |
| 参拝料 | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| ご祭神 | 《主》応神天皇 |
|---|---|
| 創建時代 | 1065年(治暦元年) |
| 創始者 | 源頼義 |
| ご由緒 | 佐八幡宮は、平安時代中期の治暦元年(1065年)に源頼義によって創建されました。源頼義は前九年の役の後、近江国錦織郷(現在の滋賀県大津市)に館を構え、八幡宮を建立しようとしました。その際、神鳩が現れ、頼義を現在の宇佐八幡宮の地へ導いたとされています。こうして、九州の豊前国(現在の大分県)にある宇佐八幡宮から八幡神を勧請し、この地に新たな宇佐八幡宮が誕生しました。以降、この地は「宇佐山」と呼ばれるようになり、神社の名も広く知られるようになりました。
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| 体験 | 御朱印武将・サムライ |
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