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三尾神社
滋賀県 三井寺駅

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三尾神社について

卯年生まれの守護神


境内にはあちらこちらにウサギがいます。夫婦ウサギ、神紋も真向きのウサギ、御手水も…。

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きどっち
きどっち
2022年06月11日(土)1507投稿

園城寺(三井寺)の東側、琵琶湖第一疎水のすぐ近くに鎮座しています。

三井寺に早くお参りしたい気持ちを抑えつつも、三尾神社の中にいる卯を見つけるのも楽しみにしていました。
こちらは卯年生まれの守り神なんです。
(私は卯年生まれではないんですが。。😅)

「寺門伝記」補録第五三尾明神祠によると次のように記されているそうです。

<滋賀県神社庁より転記>
三尾明神はその昔伊弉諾尊がこの地に降臨され、長等山の地主神となられた。
この神は常に三つの腰帯をつけておられた。
ある時その三つの腰帯が赤尾神・白尾神・黒尾神となられ、それぞれ三ヶ所で出現された。
最初の出現は赤尾神で、上の三尾(琴尾山 山上の祠)と称されたが、出現の時は太古卯年の卯月卯日卯の刻というだけで何の時代の何年という事が不明である。
第二の出現は白尾神で、場所は現在の三尾神社(筒井の祠)とされている。出現の時は文武天皇の大宝年間の夏というだけで何年という事が知られていない。
第三の出現が黒尾神で鹿関の地でこの神のみが称徳天皇の神護景雲三年三月十四日の出現とされている。
三神とも御本体は一つで伊弉諾尊となっている。之を上の三尾・中の三尾・下の三尾と称されていた。
社殿に関しては、貞観元年の春、園城寺の開祖である智証大師円珍が琴尾谷に復興した後、室町時代応永三十三年足利将軍が現存の本社を再興した物である。
慶長四年には太閤秀吉が社殿の修理を加え、若干の朱印を下附せられた。
本社が上の三尾(琴尾谷)より現在地に移ったのは明治九年の琴であり、明治十四年に郷社に加列された。
明治二十二年には内務省より古社保存資金を下賜され、明治四十三年に県社に昇格している。

又「寺門伝記」補録に、三尾明神と長谷寺縁起との関連も記されている。その部分を引用すると、「近江国高島郡に神有り、三尾明神と号す。名神官社なり。その所を名付けて三尾が崎という。養老年間に道明、徳道の二僧あり。始めて長谷寺の観音像をつくる。その像材は近江国高島郡三尾が崎より流出す。漂ふて大津の浜に至る時、材木の上に三つの小蛇ありしが忽然とはい出て陸に上り西の山を望んでいる。これ即ち三尾明神なり」。とある。この故事により、毎年一月わらで蛇形をつくり悪疫退散を祈る蛇打ちの神事がある。また七月二十二日、二十三日に境内社日御前神社で朝瓜祭が斎行される。

なぜこちらの三尾神社が「卯年生まれの守り神」なのかというと、さきほど記載した中にも書かれているように、本神(赤尾神)が卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方角からあらわれたという言い伝えからだそうです。
卯の日には特別御朱印がいただけるそうですよ。

三尾神社の鳥居

鳥居
ここからまっすぐ100m弱の参道が続きます。
この左手には平行するように琵琶湖第一疎水が流れています。

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歴史

太古の頃、伊弉諾尊がこの地に降りられ長等山の地主神となられました。
この神は常に三つの腰帯をつけておられ、その色は赤・白・黒その形は三つの尾をひくのに似ていたので三尾明神と名づけられました。
ある時、その三つの腰帯が赤尾神・白尾神・黒尾神となられ、その中で赤尾神が本神とされ、三井寺山中琴緒谷(ことおだに)に出現。それが卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻・卯の方角より現れたため、当社の使いとして瑞祥の神獣である兎が選ばれたと伝えられいます。
白尾神は文武天皇の大宝年中に、黒尾神は称徳天皇の神護景雲3(769)年3月14日(第二の卯の日)の出現とされています。
社殿に関しては貞観元年(859)の春、園城寺の開祖である智証大師円珍が琴緒谷に復興した後、室町時代応永三十三年足利将軍が現存の本社を再興したものである。慶長四年には太閤秀吉が社殿の修理を加え、若干の朱印を下附せられた。本社が上の三尾(琴尾谷)より現在地に移ったのは明治九年五月十二日のことであり、明治十四年に郷社に加列された。明治二十二年には内務省より古社保存資金を下賜され、明治四十三年に県社に昇格している。
また「寺門伝記」補録に、三尾明神と長谷寺縁起との関連も記されている。その部分を引用すると、「近江国高島郡に神有り、三尾明神と号す。名神官社なり。その所を名付けて三尾が崎という。養老年間に道明、徳道の二僧あり。始めて長谷寺の観音像をつくる。その像材は近江国高島郡三尾が崎より流出す。漂ふて大津の浜に至る時、材木の上に三つの小蛇ありしが忽然とはい出て陸に上り西の山を望んでいる。これ即ち三尾明神なり」。とある。この故事により、毎年一月わらで蛇形をつくり悪疫退散を祈る蛇打ちの神事がある。
七月二十二日、二十三日に境内社日御前神社で朝瓜祭が斎行される。

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三尾神社の情報

住所滋賀県大津市園城寺町251
行き方

JR大津駅から徒歩20分
京阪三井寺駅から徒歩10分
名神京都東ICから車で10分

三尾神社の基本情報

名称三尾神社
読み方みおじんじゃ
通称みおんさん
参拝時間

午前9時〜午後5時

参拝にかかる時間

20分

参拝料

なし

御朱印あり

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限定御朱印なし
電話番号077-522-3044

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詳細情報

ご祭神伊弉諾命
〔配祀神〕白尾神 黒尾神
創建時代859年(貞観元年)
創始者円珍(園城寺初代長吏)
本殿〔本殿〕三間社流造 間口三間 奥行二間三尺 〔拝殿〕入母屋造 間口三間 奥行三間
文化財

本殿(重要文化財)

ご由緒

太古の頃、伊弉諾尊がこの地に降りられ長等山の地主神となられました。
この神は常に三つの腰帯をつけておられ、その色は赤・白・黒その形は三つの尾をひくのに似ていたので三尾明神と名づけられました。
ある時、その三つの腰帯が赤尾神・白尾神・黒尾神となられ、その中で赤尾神が本神とされ、三井寺山中琴緒谷(ことおだに)に出現。それが卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻・卯の方角より現れたため、当社の使いとして瑞祥の神獣である兎が選ばれたと伝えられいます。
白尾神は文武天皇の大宝年中に、黒尾神は称徳天皇の神護景雲3(769)年3月14日(第二の卯の日)の出現とされています。
社殿に関しては貞観元年(859)の春、園城寺の開祖である智証大師円珍が琴緒谷に復興した後、室町時代応永三十三年足利将軍が現存の本社を再興したものである。慶長四年には太閤秀吉が社殿の修理を加え、若干の朱印を下附せられた。本社が上の三尾(琴尾谷)より現在地に移ったのは明治九年五月十二日のことであり、明治十四年に郷社に加列された。明治二十二年には内務省より古社保存資金を下賜され、明治四十三年に県社に昇格している。
また「寺門伝記」補録に、三尾明神と長谷寺縁起との関連も記されている。その部分を引用すると、「近江国高島郡に神有り、三尾明神と号す。名神官社なり。その所を名付けて三尾が崎という。養老年間に道明、徳道の二僧あり。始めて長谷寺の観音像をつくる。その像材は近江国高島郡三尾が崎より流出す。漂ふて大津の浜に至る時、材木の上に三つの小蛇ありしが忽然とはい出て陸に上り西の山を望んでいる。これ即ち三尾明神なり」。とある。この故事により、毎年一月わらで蛇形をつくり悪疫退散を祈る蛇打ちの神事がある。
七月二十二日、二十三日に境内社日御前神社で朝瓜祭が斎行される。

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