おんじょうじ(みいでら)
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園城寺(三井寺)ではいただけません
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園城寺(三井寺)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年06月16日(木)
参拝:2022年5月吉日
天台寺門宗総本山 長等山 園城寺
西国三十三所観音霊場の第14番札所
7世紀、天智・弘文・天武天皇の勅願により、弘文天皇の皇子大友与多王により開基。
10世紀には比叡山延暦寺との抗争が激しくなり焼き討ちにあったり、源平の争乱、南北朝の争乱、豊臣秀吉による寺領没収などありましたが、その都度再興されてきたことから「不死鳥の寺」と呼ばれています。
境内をすべてまわらせていただきましたが、かなり急ぎ足でまわっても2時間ほどかかりました。
また一つ、お参りしたかったお寺をまわれて、しかも天気が良くて幸せ者です。
西国三十三所観音霊場の第14番札所
7世紀、天智・弘文・天武天皇の勅願により、弘文天皇の皇子大友与多王により開基。
10世紀には比叡山延暦寺との抗争が激しくなり焼き討ちにあったり、源平の争乱、南北朝の争乱、豊臣秀吉による寺領没収などありましたが、その都度再興されてきたことから「不死鳥の寺」と呼ばれています。
境内をすべてまわらせていただきましたが、かなり急ぎ足でまわっても2時間ほどかかりました。
また一つ、お参りしたかったお寺をまわれて、しかも天気が良くて幸せ者です。
仁王門<重文>
釈迦堂(食堂)<重文>
釈迦堂前に鎮座する辨財天社
釈迦堂から次に目指すのは金堂
金堂<国宝>
こちらが本堂になります。
こちらが本堂になります。
三井晩鐘<重文>
金堂のすぐそばにある「閼伽井屋」<重文>
天智・天武・持統の三天皇が産湯に用いられたという霊泉
天智・天武・持統の三天皇が産湯に用いられたという霊泉
閼伽井屋の横にある「閼伽井石庭」
霊鐘堂何にある「弁慶の引摺り鐘」<重文>
弁慶の引摺り鐘伝説
延暦寺との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り挙げて撞いてみると「イノー、イノー」(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺へ帰りたいのか」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったというお話です。
そのときの傷跡や破目などが残っているとのこと。
弁慶の引摺り鐘伝説
延暦寺との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り挙げて撞いてみると「イノー、イノー」(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺へ帰りたいのか」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったというお話です。
そのときの傷跡や破目などが残っているとのこと。
弁慶の汁鍋
何が鳴いているんだろう?と思って行ってみるとクジャクでした。
一切経蔵<重文>
回転式八角輪蔵
三重塔
唐院灌頂堂<重文>
唐院大師堂説明
灌頂堂の後方にありますが、この日は近づけませんでした。
灌頂堂の後方にありますが、この日は近づけませんでした。
唐院唐門説明
大師堂正面に建つ中門。
大師堂と同じく近くには寄れませんでした。
大師堂正面に建つ中門。
大師堂と同じく近くには寄れませんでした。
長日護摩堂
村雲橋
次のような伝説が残されているそうです。
昔、智証大師がこの橋を渡ろうとされた時、ふと西の空をご覧になって大変驚かれました。 大師が入唐の際、学ばれた長安の青竜寺が焼けていることを感知されたのです。 早速真言を唱え橋上から閼伽水をおまきになると、橋の下から一条の雲が湧き起り、 西に飛び去り火災を鎮めたそうです。
次のような伝説が残されているそうです。
昔、智証大師がこの橋を渡ろうとされた時、ふと西の空をご覧になって大変驚かれました。 大師が入唐の際、学ばれた長安の青竜寺が焼けていることを感知されたのです。 早速真言を唱え橋上から閼伽水をおまきになると、橋の下から一条の雲が湧き起り、 西に飛び去り火災を鎮めたそうです。
衆宝観音
「出世が叶う」といわれる観音様です
「出世が叶う」といわれる観音様です
毘沙門堂
観音堂
御手洗
絵馬堂
観月舞台
百体観音堂
鐘楼
中坂世継地蔵尊
護法社石橋
護法社唐門
護法善神堂
西国三十三所観音霊場御朱印
釈迦堂 御本尊御朱印
金堂 円空佛御朱印
すてき
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