ながらじんじゃ
長等神社のお参りの記録一覧
園城寺(三井寺)南端の参道入り口の隣に鎮座しています。
すぐ背後は山なので自然豊かなのですが、まさか楼門前をこの動物が悠然と闊歩するとは😲
(2、3枚目の写真を見てください)
天智天皇が近江大津宮へ遷都(667年)の際に都の鎮護として、須佐之男命を志賀の長等山岩座谷の地に祀られたのが始まりとされています。
貞観2年(860年)2月、三井寺を開祖された智証大師が日吉山王神を勧請して一山の守護神として祀られ、新日吉社または新宮社と称されていました。
創建時から長等山山上に鎮座されていたわけですが、より多くの庶民が参拝できるようにと天喜2年(1054年)4月に現在地へ遷宮。
延元元年(1336年)、南北朝の戦乱の影響により社殿が焼失してしまいますが、興国元年(1340年)に足利尊氏によって再建されました。
明治16年(1883年)、神仏分離令により三井寺から独立して「長等神社」と改めました。
主祭神
建速須佐之男大神
大山咋大神
市杵島姫大神
宇佐若宮下照姫大神
八幡大神
本殿の周りは回廊になっており、「美女祈願(縁結び・安産)」と「魔除参り」ということで歳の数だけ本殿の周りを巡ります。
ただ本殿後方の辺りは天井がとても低いため、背の高い方はちょっときついかもしれません。
社務所には「ここいろ保育園」が併設されていて中から小さなお子さんの声が聞こえてきていました。
御朱印をお願いしようと社務所のインターホンを押したのですが反応なし。
お昼時ということもあり、あまりしつこくインターホンを押すのも憚られたため御朱印は断念しました。
鳥居
楼門
さて、皆さん、おわかりでしょうか?
楼門手前を何かが通り過ぎようとしています。
最初は「猫?」
スマホから目を直接向けると「タヌキ?」
写真を拡大してみるとタヌキにも見えるけど、もしかしてアナグマでは?
このあと側溝の中へと消えていってしまいました。
楼門内 左大臣
楼門内 右大臣
由緒書
手水舎
拝殿
本殿前の狛犬さん
回廊越しの本殿
本殿
御神木の桂
とても力強さがありました
末社
栄稲荷神社
末春稲荷神社
権平稲荷神社
駒竹稲荷神社
末社 馬神神社
馬神神社社殿
末社 両御前神社
平忠度の歌碑
「さざなみや
志賀の都は 荒れにしを
昔ながらの 山桜かな」
琵琶湖疏水を上から眺めながら、歩いていると赤い立派な楼門が見えて来ました。
紅葉と楼門、思わず わ!素敵!と大きな声が出てしまいました☘️
お参り出来て良かった〜❣️
御朱印は二種あります。
馬神神社⛩の御朱印も頂けます。
天智天皇が大津京鎮護のため長等山の岩倉に須佐之男大神を祀ったのが始まりとされています。
貞観2年(860)円珍が園城寺の守り神としてまつり、天喜2年(1054)庶民参詣のため山の上から現在地に移ったそうです。
楼門は明治38年の完成、中世の古い様式が細部にわたり見事に生かされています。
綺麗な楼門と紅葉🍁
楼門から見た一ノ鳥居⛩
手水舎
拝殿
本殿🙏
回廊が本殿の周りにあり、ぐるっと回れます。
初めての造りでした。
馬神神社⛩
お馬さん関係の願い事が書かれた絵馬が多く掛けてありましたよ🐴🏇🐎
琵琶湖疏水を上から眺めて。
今度は下に降りて散策してみたいですね☘️
天智天皇6年(667年)近江大津宮に遷都した際に建速須佐之男大神を祀ったのが始まり。
貞観2年(860年)には園城寺初代長吏の円珍が山王権現を合わせて祀り、園城寺の鎮守社とした。
山王権現を祀った事から新日吉社とも称した。
拝殿
社務所
笠森神社
本殿
両御前神社
馬神神社
ギャンブルのお願いが沢山
駒竹・権平・末春・榮の稲荷神社4社(台風で倒壊)
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