ながらじんじゃ
長等神社滋賀県 三井寺駅
参拝/24時間
御朱印
午前9時~午後5時
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楽しみ方
園城寺(三井寺)南端の参道入り口の隣に鎮座しています。
すぐ背後は山なので自然豊かなのですが、まさか楼門前をこの動物が悠然と闊歩するとは😲
(2、3枚目の写真を見てください)
天智天皇が近江大津宮へ遷都(667年)の際に都の鎮護として、須佐之男命を志賀の長等山岩座谷の地に祀られたのが始まりとされています。
貞観2年(860年)2月、三井寺を開祖された智証大師が日吉山王神を勧請して一山の守護神として祀られ、新日吉社または新宮社と称されていました。
創建時から長等山山上に鎮座されていたわけですが、より多くの庶民が参拝できるようにと天喜2年(1054年)4月に現在地へ遷宮。
延元元年(1336年)、南北朝の戦乱の影響により社殿が焼失してしまいますが、興国元年(1340年)に足利尊氏によって再建されました。
明治16年(1883年)、神仏分離令により三井寺から独立して「長等神社」と改めました。
主祭神
建速須佐之男大神
大山咋大神
市杵島姫大神
宇佐若宮下照姫大神
八幡大神
本殿の周りは回廊になっており、「美女祈願(縁結び・安産)」と「魔除参り」ということで歳の数だけ本殿の周りを巡ります。
ただ本殿後方の辺りは天井がとても低いため、背の高い方はちょっときついかもしれません。
社務所には「ここいろ保育園」が併設されていて中から小さなお子さんの声が聞こえてきていました。
御朱印をお願いしようと社務所のインターホンを押したのですが反応なし。
お昼時ということもあり、あまりしつこくインターホンを押すのも憚られたため御朱印は断念しました。

天智天皇御世、都の鎮護として長等山岩倉の霊地に須佐之御男大神を崇祀する。天智天皇8年5月5日、宇治の山科より還行の時弓と矢を奉納された。皇子大友与多王、5月5日を祭礼日と定め給ひ、今にこの日を例祭日としている。清和天皇貞観2年、園城寺の開祖智証大師が日吉大神を勧請合祀され、園城寺の守護神とした。清和天皇の時初めて官幣を受け、社殿修復等本宮日吉大社に準じて上奏を経る事とせられた。後冷泉天皇の天喜二年に明尊大僧正が山上の社を現在の山麓の勧請し新宮社と称し、その所を神出と名ずけられた。白河天皇永保元年、官符を下して大津の住人をして日吉祭を新宮社で勤行せしめ、寺門の衆徒もこの祭に加勢した。爾来、当社は日吉本宮と対比し12の廻廊もあり湖南の大社として隆盛を極めたが、山門・寺門の衆徒の闘争により、当社も度々の兵火に罹る。鎌倉幕府が宇津宮蓮生に命じて、本殿・拝殿・楼門等を再興したが再び灰燼となる。
後村上天皇興国元年、足利尊氏社殿を再興し、霊元天皇寛文11年社殿を大修理す。爾後、永保天明寛政の年代に亘って社殿を修理する。東山天皇元禄4年極月、聖護院宮道尊法親王、山王御神体一体御寄進あり。本殿の建造物に関しては棟札四枚が保存され、その最古の棟札は明応4年次で文化9年天保7年がある。本殿内に六個の釣燈籠が下げられているが、その一つに次の銘がある。万治元年辛丑年奉掛御宝物日本第一大霊権現南無新宮。尚当社に木像薬師如来座像と木像如竟輪観音坐像がある。この二体の像の底にそれぞれ、山王大明神本地佛、山王新宮本地佛の銘記がある。現在の薬師如来像は、鎌倉末期、如意輪観音像は室町初期の作と鑑定されている。
明治9年村社、明治15年長等神社と復称す。明治16年郷社。明治34年1月県社。昭和57年4月、長等神社創立千三百年式年記念大祭を斎行す。「長等のあゆみ」刊行す。
| 住所 | 滋賀県大津市三井寺町4-1 |
|---|---|
| 行き方 | JR湖西線・大津京駅より徒歩20分
|
| 名称 | 長等神社 |
|---|---|
| 読み方 | ながらじんじゃ |
| 参拝時間 | 参拝/24時間
|
| 参拝料 | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| 電話番号 | 077-522-4411 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| メールアドレス | nagarajinja@rakumail.jp |
| ホームページ | http://nagarajinja.net/index.shtml |
| 絵馬 | あり |
| SNS |
| ご祭神 | 《主》須佐之男大神,大山咋大神,宇佐若宮下照姫大神,八幡大神,地主大神 |
|---|---|
| 創建時代 | 667年(天智天皇の御宇六年) |
| 本殿 | 〔本殿〕入母屋造向拝付 間口五間 奥行二間 〔拝殿〕入母屋造 間口二間三尺 奥行三間 |
| 文化財 | 【大津市指定文化財】楼門 |
| ご由緒 | 天智天皇御世、都の鎮護として長等山岩倉の霊地に須佐之御男大神を崇祀する。天智天皇8年5月5日、宇治の山科より還行の時弓と矢を奉納された。皇子大友与多王、5月5日を祭礼日と定め給ひ、今にこの日を例祭日としている。清和天皇貞観2年、園城寺の開祖智証大師が日吉大神を勧請合祀され、園城寺の守護神とした。清和天皇の時初めて官幣を受け、社殿修復等本宮日吉大社に準じて上奏を経る事とせられた。後冷泉天皇の天喜二年に明尊大僧正が山上の社を現在の山麓の勧請し新宮社と称し、その所を神出と名ずけられた。白河天皇永保元年、官符を下して大津の住人をして日吉祭を新宮社で勤行せしめ、寺門の衆徒もこの祭に加勢した。爾来、当社は日吉本宮と対比し12の廻廊もあり湖南の大社として隆盛を極めたが、山門・寺門の衆徒の闘争により、当社も度々の兵火に罹る。鎌倉幕府が宇津宮蓮生に命じて、本殿・拝殿・楼門等を再興したが再び灰燼となる。
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| ご利益 | |
| 体験 |
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