おし すわじんじゃ・とうしょうぐう
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楽しみ方忍 諏訪神社・東照宮 のお参りの記録一覧
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久しぶりに連休が取れたのですが、どうもここのところ少し体調崩したり、コロナリベンジ消費で刀爆買いしたりして、すっかり出不精になってしまいまして(*_*)
泊まりがけの遠出はなんかタルく、日帰りで適当な距離の行田にでも行ってみることにw
で、謙信公に纏わる刀がもう一振り手に入ったので、これを佩いて今度はのぼうの城を攻めてみることにしましたw
実は11月第二日曜に時代祭があるらしく、武者行列とか火縄銃一斉射撃など戦国マニア垂涎のイベントが目白押しだったのですが、休みが合わず泣く泣く一週間前倒し(;´Д⊂)
まぁ、早きこと風のごとし、敵兵(観光客)の陣備え(混雑)が整わぬうちに攻めるのも兵法の極意よ!
これぞ民明書房にも載っている秘策「三密回避」
この忍城址・忍諏訪神社・忍東照宮として現存してるのは忍城の北の一角に過ぎず、元々の城域は南1kmの所にある水城公園まで含めてかなり広大です。
さすがは古河公方、上杉謙信、小田原北条氏、そして石田三成率いる10倍以上の豊臣軍ですら落とせなかった堅城。
隠れた名城を堪能し、幸先良く本日のスタートを切りました。



忍東照宮は東照宮連合会加盟の神社⛩のため、埼玉県の寺社巡りを計画した時には、お詣りしたい神社ランキングでは上位でした。
家康公の娘、亀姫が父の肖像を頂き、後に子の松平忠明公に伝え忠明公が寛永二年(1625)、大和国郡山山城内に社殿を造営して、肖像を安置したことに始まる。以来、藩主・藩士崇敬の社となった。その後、移封の都度遷座され、慶応四年(1868)鳥羽・伏見の戦いの折、大坂蔵屋敷の東照宮を当社に合祀した。
社領は、郡山当時より百石を受け継ぎ、明治維新まで続く。その地は、埼玉古墳群の辺りであったと伝えられている。
明治四年(1871)、藩主東京移住のために祭祀断絶の危機を迎えるが、旧藩主ら相計り、同七年に下荒井の地より、本丸の一部である諏訪郭内の諏訪神社境内一隅に本殿を移し、同三十三年に藩祖、松平忠明公を配祀した。現在の拝殿は昭和五年の造営である。(由緒書より)



あれほど会いたくて会いたくても、会えなかったひとと今日…偶然の再会をしました
とは云え、ネット世界のお話ですが
ただただ、偶然の再会をさせてくださった神仏に、深い感謝を致します

ネット世界、仮に今このホトカミをひとつの実世界とすると皆さん各々のアカウントが【魂】霊魂だとして

もし、その霊魂である【アカウント】が停止されたら、その世界、仮にホトカミ内では死にますよね。それを私は以前のバイク投稿サイトでやられたわけで

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