ながはたべじんじゃ
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | なし |
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長幡部神社(ながはたべ~)(上里町)は、埼玉県児玉郡上里町長浜にある神社。式内社で、旧社格は村社。祭神は天羽槌雄命(あめのはづちお)。
創建は不詳だが、「長幡部」の名から機織りの技術を持った集団が祀った神社と考えられている(常陸国の延喜式内社「長幡部神社」(茨城県常陸太田市)と同じ)。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 賀美郡 長幡部神社 小」に比定されている。『神社明細帳』によると、当初近隣の別の地に鎮座し、賀美郡の総社、当村の氏神とされていたが、平安時代後期1110年に洪水で社地が流され現在地に遷座している。戦国時代の1582年に織田信長家臣・滝川一益と北条氏政らの北条軍が当地で合戦をした(神流川の戦い)ため、兵火により当社の社殿や古文書が焼失している。江戸幕府が編纂した『新編武蔵風土記稿』では、当社は「長幡五所宮」と称し村の鎮守であるとし、延喜式神名帳にある長幡部神社であるとされものの、今は最小社となり古社とは思えないが、長幡郷中に鎮座しその地名も知れ渡っているので、おそらく式社だろうと記されている。
当社は、JR八高線・丹荘駅の北北東3.5kmちょっとの、田園地帯の中の住宅がゆるく集まったエリアにある。敷地はそこそこ広いが、草木がほとんどなく、せっかくの式内社なのに、あまり神社らしい雰囲気はない。大きな社務所のような建物があるが、地域の集会所みたい。社殿の裏手は児童公園になっている。
今回は、武蔵國の式内社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には人っ子一人見かけなかった。
境内南端入口全景。左側は地区集落センター、右側は一般住宅。
南面する<鳥居>。
鳥居の手前右側にある<社号標>。
鳥居をくぐって、左側にある<手水舎>。
<社殿>遠景。社殿の左奥は畑、右奥は児童公園。
<社殿>全景。そこそこの大きさはあるが、簡素な建物。
社殿内部を覗くとこんな感じ。合祀された社殿もあるみたい。
社殿の左側にある、唯一の境内社<稲荷社>。
鳥居の左手にある<遥拝所>。何の遥拝所なのかな?
鳥居の南側ののどかな風景。だだっ広い畑が広がる。(^▽^)/
武蔵国加美郡の式内社です。「ながはたべ」!!
常陸国にも同名の神社がありますが、どうやら御祭神は違うようです、
《一の鳥居と社号碑》
《手水舎》
蛇口を捻れば水が出ます。
《遥拝所》
この方向にはなんの神社が…?
《由緒書き》
《拝殿》
真四角に近いです。
『末社》
神社の裏手には遊具がありました。
《本殿》
拝殿内部にあります。
☆チェックポイント!!
珍しく二館社流造で、控えめな装飾がされています。
歴史
神流川流域に位置する古代の加美郡内には『延喜式』神名帳に登載されている神社として、当社「長幡部神社」と「今城青八坂稲実神社・今城青坂稲実荒御魂神社・今城青坂稲実池上神社」の四柱がある。これらは、いずれも此の地域に進出してきた氏族が奉斎した神社として考えられる。長幡部は機織りの技術を持った集団が祀った神社をその社名であらわしたと考えられる。
鎮座地は『神社明細帳』に「往時本村地内神流の南岸字宮の西的場に鎮座し本郡の総社及び当社の氏神なりと云う。然るに天永元年(1110)洪水のため社地流亡せしを以て此の地に遷座せり」と記されている。
古代の長幡部氏のその後の動向は明らかではないが、江戸幕府の編纂した『新編武蔵風土記稿』には「長幡五所宮 村の鎮守とす、【延喜式】神名帳に、加美郡長幡部と載るもの是なりと云う、今は最小社となりてさせる古社ともおもはざれど、長幡郷中の鎮座にして、其地名も廣わたりたれば、當社恐くは式社なるべし、千壽院持」と載せている。江戸時代に当社の管理をしていた当山派修験の千壽院は、明治初年の神仏分離により、当社から離れた。
明治五年に長幡五所宮から長幡部神社へと社名を復した。
名称 | 長幡部神社 |
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読み方 | ながはたべじんじゃ |
通称 | 丹生様 |
参拝時間 | なし |
参拝にかかる時間 | 5分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主》天羽槌雄命,埴山姫命 |
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本殿 | 二間社流造 |
ご由緒 | 神流川流域に位置する古代の加美郡内には『延喜式』神名帳に登載されている神社として、当社「長幡部神社」と「今城青八坂稲実神社・今城青坂稲実荒御魂神社・今城青坂稲実池上神社」の四柱がある。これらは、いずれも此の地域に進出してきた氏族が奉斎した神社として考えられる。長幡部は機織りの技術を持った集団が祀った神社をその社名であらわしたと考えられる。
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体験 | 御朱印 |
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