御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年5月
阿夫利天神社ではいただけません
広告
御朱印について
御朱印
なし
パーキング
駐車場
-

阿夫利天神社について

起源・創建年代の異なる阿夫利神社と天神社を合併

埼玉県のおすすめ3選🎏

広告

おすすめの投稿

くし
2022年05月29日(日)
1450投稿

本庄のこの辺りに固まってる4寺社のうち最後に行った神社ですが・・・ここだけ無住だったのと、隣の普寛霊場が強烈過ぎたので正直あまり印象に残ってなかったりする(^^;
社名すら正確に覚えてなくて「阿夫利神社」で検索しても出てこず、新規登録しようと思っていろいろ調べてるうちに「阿夫利天神社」だったと気付いた。
この日一番最初に上里の菅原神社拝んでるのに・・・天神様サーセンw

ちなみに他の三寺社は登録されてなかったのですが、一番地味そうなここだけシッカリ事前登録されてた( ゚д゚)ポカーン
まぁわりとホトカミあるあるなんですが、運営のスタッフさんがどんな資料で寺社を調べてるのかちょっと興味あるw

創建は平安末期から鎌倉初期。
本庄氏の始祖、本庄太郎こと武蔵七党の一つ児玉党の庄太郎家長が、源頼朝から本庄に領地を得て相模の大山阿夫利神社を勧請。
時は流れて戦国時代、本庄城の鎮守として天神社を奉斎。
さらに時は流れ大正時代にこの二社が遷座合祀されて阿夫利天神社となったそうです。
安養院が阿夫利神社、慈恩寺が天神社のそれぞれ別当寺とのこと。

9月に御神酒あげ神事という例大祭があるそうです。
金鑚神社が兼務してるらしい。 御朱印は・・・まぁ本務社が日和ってるんじゃ当然こちらもないな(^^;

阿夫利天神社(埼玉県)

鳥居
左側は普寛霊場
右側は若泉公園 川沿いの細長い公園で桜の名所

阿夫利天神社の歴史

神社の由来
雨乞いに霊験あるらしい・・・考えてみたら雨神と雷神のコンビだし最強だね☆

阿夫利天神社の手水

手水舎とほんじょうかるたの石碑
後ろの方に社務所
金鑚神社の兼務社ですが、管理してる人が住んでるという情報もあり

阿夫利天神社の建物その他
阿夫利天神社の本殿

阿夫利天神社

阿夫利天神社の末社

奥の藪の中に境内社

阿夫利天神社(埼玉県)

出世稲荷だそうです
しかしこちらは完全にヤブ蚊ゾーンで祈りに集中できず(^^;

もっと読む
投稿をもっと見る(1件)

歴史

社伝によると阿夫利神社は、寿永年間1182~1184に源頼朝によって領地を受けた児玉党の本庄庄太郎家長が、かねてより信仰していた相州大山石尊大権現を領地内の当所に勧請したのが始まりである。
その隣接地に安養院が開基されると、明治初年の信教分離まで同寺が別当職を務めた。
一方、天神社は、天正二年1574、本庄城主本庄宮内少輔実忠の命により城の鎮守として奉斎されたことに始まる。
烏川の浸食によって形成された豊富な湧水があった若泉公園のすぐ南側にあるのが阿夫利天神社。

歴史をもっと見る|
1
名称阿夫利天神社
読み方あふりてんじんじゃ
通称石尊様

詳細情報

ご祭神《主》大山祇命・大雷命・高神
《合》菅原道真・天手長男命
創建時代寿永年間(1182~1184年)
創始者本庄庄太郎家長
ご由緒

社伝によると阿夫利神社は、寿永年間1182~1184に源頼朝によって領地を受けた児玉党の本庄庄太郎家長が、かねてより信仰していた相州大山石尊大権現を領地内の当所に勧請したのが始まりである。
その隣接地に安養院が開基されると、明治初年の信教分離まで同寺が別当職を務めた。
一方、天神社は、天正二年1574、本庄城主本庄宮内少輔実忠の命により城の鎮守として奉斎されたことに始まる。
烏川の浸食によって形成された豊富な湧水があった若泉公園のすぐ南側にあるのが阿夫利天神社。

体験武将・サムライ

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ