あふりてんじんじゃ
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阿夫利天神社について
起源・創建年代の異なる阿夫利神社と天神社を合併
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本庄のこの辺りに固まってる4寺社のうち最後に行った神社ですが・・・ここだけ無住だったのと、隣の普寛霊場が強烈過ぎたので正直あまり印象に残ってなかったりする(^^;
社名すら正確に覚えてなくて「阿夫利神社」で検索しても出てこず、新規登録しようと思っていろいろ調べてるうちに「阿夫利天神社」だったと気付いた。
この日一番最初に上里の菅原神社拝んでるのに・・・天神様サーセンw
ちなみに他の三寺社は登録されてなかったのですが、一番地味そうなここだけシッカリ事前登録されてた( ゚д゚)ポカーン
まぁわりとホトカミあるあるなんですが、運営のスタッフさんがどんな資料で寺社を調べてるのかちょっと興味あるw
創建は平安末期から鎌倉初期。
本庄氏の始祖、本庄太郎こと武蔵七党の一つ児玉党の庄太郎家長が、源頼朝から本庄に領地を得て相模の大山阿夫利神社を勧請。
時は流れて戦国時代、本庄城の鎮守として天神社を奉斎。
さらに時は流れ大正時代にこの二社が遷座合祀されて阿夫利天神社となったそうです。
安養院が阿夫利神社、慈恩寺が天神社のそれぞれ別当寺とのこと。
9月に御神酒あげ神事という例大祭があるそうです。
金鑚神社が兼務してるらしい。 御朱印は・・・まぁ本務社が日和ってるんじゃ当然こちらもないな(^^;
鳥居
左側は普寛霊場
右側は若泉公園 川沿いの細長い公園で桜の名所
神社の由来
雨乞いに霊験あるらしい・・・考えてみたら雨神と雷神のコンビだし最強だね☆
手水舎とほんじょうかるたの石碑
後ろの方に社務所
金鑚神社の兼務社ですが、管理してる人が住んでるという情報もあり
阿夫利天神社
奥の藪の中に境内社
出世稲荷だそうです
しかしこちらは完全にヤブ蚊ゾーンで祈りに集中できず(^^;
歴史
社伝によると阿夫利神社は、寿永年間1182~1184に源頼朝によって領地を受けた児玉党の本庄庄太郎家長が、かねてより信仰していた相州大山石尊大権現を領地内の当所に勧請したのが始まりである。
その隣接地に安養院が開基されると、明治初年の信教分離まで同寺が別当職を務めた。
一方、天神社は、天正二年1574、本庄城主本庄宮内少輔実忠の命により城の鎮守として奉斎されたことに始まる。
烏川の浸食によって形成された豊富な湧水があった若泉公園のすぐ南側にあるのが阿夫利天神社。
名称 | 阿夫利天神社 |
---|---|
読み方 | あふりてんじんじゃ |
通称 | 石尊様 |
詳細情報
ご祭神 | 《主》大山祇命・大雷命・高神 《合》菅原道真・天手長男命 |
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創建時代 | 寿永年間(1182~1184年) |
創始者 | 本庄庄太郎家長 |
ご由緒 | 社伝によると阿夫利神社は、寿永年間1182~1184に源頼朝によって領地を受けた児玉党の本庄庄太郎家長が、かねてより信仰していた相州大山石尊大権現を領地内の当所に勧請したのが始まりである。
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体験 | 武将・サムライ |
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