りゅうえんじ|曹洞宗|太平山
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次に向かったのは成田氏代々の菩提寺 龍淵寺。
成田家について調べていくうちにすっかりファンになった、凶悪絶倫ジジイの成田長泰公が余生を過ごしたお寺ですw
成田氏、徳川家康と時の権力者の庇護を受けたお寺のためか、非常に長い参道が続いてて両側は松並木になってます。
今回、熊谷・行田・妻沼付近の寺社を調べるに当たり、面白い伝説などもいくつか知ったのですが、その中に日光戦場ヶ原の地名説話となっている「男体山と赤城山の神戦譚」ならぬ、「妻沼聖天と太田呑龍の仏戦譚」というのがありましたw
むかしむかし、妻沼聖天様と太田呑龍様が喧嘩をしたことがあり、呑龍様に松葉で目を突かれて聖天様が敗北。
以来聖天様は松が嫌いになり、マツクイムシに変化して妻沼付近の松を枯らしたり、妻沼十二郷の人々も松を植えなくなったり正月に門松を立てなくなったとのこと。
妻沼聖天にお参りしたあと太田呑龍にお参りするのは良くない、少なくとご利益がないという、神田明神と成田山新勝寺の関係みたいな言い伝えもあるそうです。
・・・どっちも行ってるがな orz
しかもほぼ隣り合わせに御札祀ってるしw (^^;
そんな伝承がありますが、少し南のこの辺りでは何ソレ美味しいの?状態で普通に松並木が植えられてるようですねw
一通り参拝して御朱印をお願いしに行ったところ・・・
キタ━━(゚∀゚)━━!
久々の一行写経体験、もちろんwktkしながらやりましたとも! ..._〆(-∀・*)♪
え? 写経会とかは行かないのかって? え~全文書くのなんて面倒臭いし(´゚д゚`) 私は他の方法で功徳積むのでいいっすw
景色はいいし、見所満載だし、オマケに一行写経体験、なんだかんだで今日一番楽しめたお寺でした☆
龍淵寺の本尊 釈迦牟尼佛の御朱印
成田家菩提寺
う~ん、Wktkが止まらない(*゚∀゚)
うん?奥原晴湖?? 誰ソレ('_'?)
成田氏、家康と時の権力者の庇護を受けたためか、非常に長い参道が続いてます
駐車場は例によって境内近くのため、これはお寺側から撮影
山門
山門からも長い参道
境内入口
広い境内
右側に石庭と鐘楼がありますが、これがまた美しい・・・
手前に松、奥に竹、そして左に梅
松竹梅揃ってます
鐘楼の天井には青龍と赤龍の絵
直下まで近付いてOKだったみたいですが、この時は知らず外から撮影
左に地蔵堂
お線香があったので一本手向けてきました
旧鬼瓦
すごく・・・大きいです・・・
ブロンズの観音様
本堂も立派
本堂前にも鬼瓦や鯱
墓地の方に行ってみよう
奥原晴湖の墓
左側には奥原晴湖の弟子・門人で「小晴湖」といわれた、渡辺晴嵐という画家さんのお墓もあるそうです
奥原晴湖とはどんな人?と熊谷市HPで見てみたところ・・・なんかイメージしてたのと違うなオイ(;゜∀゜)
ちなみに「女流画家」です
奥原晴湖さんの絵、山水画が中心の様子
開山座禅石
きっと長泰公もこの上で座禅を組みながらも煩悩を捨てきれず、行田に残してきた少女 小筑を思いだしたり・・・w
成田氏歴代墓所
どれがのぼうの墓で、どれが長泰公の墓なのかわからずまとめて参拝(ー人ー)
長泰様、私めも70越えて少女囲ったり、真剣白歯取りできるくらいフザけたジジイになれますようにw
墓地の入口にも成田家と家臣の供養搭
こちらは歴代住職の墓所かな
一行写経体験キタ━━(゚∀゚)━━!
もちろんこれが本来の受印条件なので喜んでやります♪w
持病の病気平癒としたけど、やっぱ長泰公にちなんで身体堅固にしときゃよかったなw
ガッツリ本名書いてあるので少し修正しました
左に太田呑龍様、右に妻沼聖天様の最悪の組み合わせw
大平山の聖徳太子が間を取り持ってくれてるみたいで良かった(´∀`;)
仲の悪い群馬と埼玉を栃木が宥める構図w
歴史
行田・忍城主の成田氏十二代・成田左京亮家時が応永18年(1411年)、皿尾村(行田市)の阿弥陀堂に住していた和庵清順(わなんせいじゅん)を招いて建立した。
成田家代々の菩提寺。徳川家康が関東に入国して初めて鷹狩をした時、当寺の山号を見て、「太平山とは吉瑞なり」と立ち寄った。すると住職が三河にいた時代に手習いの相手だった幼なじみだった。
その後もしばしば立ち寄って、寺に修行僧が多いのを知って同情し、百石の御朱印を下されたと言われる。
名称 | 龍淵寺 |
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読み方 | りゅうえんじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 048-521-3184 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 釈迦如来 |
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山号 | 太平山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
創建時代 | 応永18年(1411年) |
開山・開基 | 成田左京亮家時・和庵清順 |
ご由緒 | 行田・忍城主の成田氏十二代・成田左京亮家時が応永18年(1411年)、皿尾村(行田市)の阿弥陀堂に住していた和庵清順(わなんせいじゅん)を招いて建立した。
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体験 | 写経・写仏御朱印武将・サムライ有名人のお墓 |
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