いるまのじんじゃ
入間野神社のお参りの記録一覧
南入曽に鎮座する神社。北入曽の野々宮神社の兼務社になります。
県指定の無形民俗文化財「入曽の獅子舞」が毎年10月に奉納されます。その起源は少なくとも江戸中期まで遡るもので、豊作や悪疫退散を願って村内を舞って歩き、日照り続きには雨乞い祈願で舞うこともあったといわれているそうです。
天神社
稲荷社
入間招魂社。
日清戦争以降の英霊164柱をお祀りしています。
前回、野々宮神社に参拝した折留守だった為、いらっしゃられない時が多いと思い兼務社のこちらにも参拝。野々宮神社から200メートルも離れていません。創建当時は国井神社と称し、後に御嶽大権現
、御嶽神社、更に付近の神社を合祀して入間野神社となった。地名の「南入曽」と「水野」の間ということだそうです。野々宮神社と異なり木々が少なく明るい雰囲気の神社です。ご丁寧な御朱印を本務社の野々宮神社で戴きました。
追記 この辺は狭山丘陵の上に位置し農耕は雨水に頼るところが大きかった。そこで大規模な井戸の掘削がされ水の神・井戸の神として祀られたとあったのだが、近くに不老川が流れているのに変だなと思い、少し調べてみると、この川は水量が少なく渇水することが多かったとのこと。納得!
社号標
由緒書
一の鳥居
狛犬 正面に向かって威風堂々としています
二の鳥居
狛犬
灯籠
三の鳥居
手水舎
拝殿
扁額
本殿
灯籠
境内社 天神社
境内社 稲荷社
境内社 入間招魂招魂
社号標
入間招魂社 由緒書
忠魂碑
狭山市南入曽にある神社です。創建年は建久2年(1191)と伝えられ、旧号を国井神社、後に御嶽大権現と称していたといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より10石の御朱印状を拝領、明治44年に大字水野にあった浅間神社を合祀、入間野神社と改めたといいます。
社号 入間野神社
祭神 大山祇命、木花咲耶姫命
相殿 天照大神他六神
境内社 入間招魂社
鎌倉街道案内板。
『いざ鎌倉』と『鎌倉幕府倒幕』に重要な街道。街道沿いには貴重な寺社仏閣が多く、江戸時代までの関東の幹線街道。この鎌倉街道には惹かれます。
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