なかひかわじんじゃ
中氷川神社のお参りの記録一覧
中氷川神社⛩️へおまいりしました(。・人・`。)
県道沿いの鳥居⛩️をくぐり、階段を登ると、すごく静かな小さな杜を背負ったような境内に趣ある社殿や境内社がとても素敵でした🌲*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
紅葉も散りつつあり、晩秋の古社って🍁🍂なんでこんなに心を満たしてくれるんだろうって思いました
氷川三社巡りをしてみようと思いついて来てみてよかったです(。・ω・。)
御朱印書入れしていただきました♪
境内社 金刀比羅神社⛩️の御朱印書入れていただきました♪
県道側の鳥居⛩️
鳥居の向こうに紅葉🍁が
正面の鳥居⛩️
手水舎
拝殿前の階段
拝殿
境内社の石上神社⛩️と稲荷神社🦊
和魂宮⛩️
境内社
境内社 金刀比羅神社⛩️
御神木🌲
プロ野球西武のドーム球場の近く所沢市の中氷川神社参拝⛩
大宮の武蔵一宮氷川神社と奥多摩町の氷川神社 上氷川と奥氷川との中間に鎮座するため、中氷川神社と呼称されるようになったそうです。
鳥居や拝殿は新しそうですが、杉の巨樹が歴史の長さを感じさせ、創建は紀元前という古社∑(゚Д゚)
社殿の周辺は御神気を感じるいい神社でした。
手水舎
凛々しい狛犬さん
拝殿
本殿は出雲大社造り
金比羅神社
八坂神社、秋葉神社、市杵島姫神社、諏訪神社
稲荷社と愛宕大権現だったかなすみません
和魂宮
雲一つない青空に突如龍🐉がとぐろ巻いているような白い雲が現れビックリ🫢
すぐに形は変わってしまったんですがね。
御朱印は書き入れで拝受
2022/3/21 参拝記録です。
直書き御朱印です。
金毘羅神社の直書き御朱印です。
天満天神社の直書き御朱印です。
浅間神社の直書き御朱印です。
鎌倉街道散策(所沢山口)2
【散策ルート】
西武球場前駅〜①山口観音〜②山口城跡〜③中氷川神社〜④北野天神社〜⑤小手指原古戦場跡〜⑥白旗塚〜⑦誓詞橋〜小手指駅
山口観音から山口城跡までは徒歩で30分以上掛かるので、ここは電車で下山口駅まで移動。下山口駅から所沢武蔵村山立川線を左へゆっくり10分程歩くとスーパーの交差点左手に現れる。前回は電気工事、今回は草刈業者が遮っていた。
②山口城址
山口城は平安時代末から鎌倉・室町時代にこの一帯を本拠とした武蔵武士の山口氏によって築かれました。この場所は北に椿峰の丘陵がせまり、南は柳瀬川と、湿地に囲まれた要害の地で、西側には鎌倉街道が通っていた。
平安時代末期に武蔵七党村山党の山口家継によって築城された。以来代々山口氏の居城となる。
南北朝時代の応安元年(1368年)新田義宗、脇屋義治の挙兵(武蔵野合戦)に呼応した武蔵平一揆のおり、山口高清は一揆の中心・河越氏の側につき、鎌倉公方足利氏満方の上杉憲顕に攻められ山口城は落城した。
所沢武蔵村山立川線をより西へ5分程で、右手に現れる。
③中氷川神社
所沢市山口にある県社の氷川神社です。中氷川神社の創建年代等は不詳ながら、足立郡大宮の氷川神社と西多摩郡氷川村の上氷川神社との中間に鎮座することから中氷川神社と言われている。祭神は素盞嗚尊、稲田姫命、大己貴命、七社大神。
多摩湖から北に下った鎌倉街道は西武線の線路を越えて中氷川神社の横に出る。
中氷川神社というのは、丁度、本家の氷川神社と奥多摩氷川の奥氷川神社の中間にあり、3社で本社・中社・奥社の関係にあるという。
社殿は、武蔵七党の一つ村山党の一族山口家継が後鳥羽上皇の頃に造営し、南北朝時代に山口高治が大営繕。
下山口駅
②山口城跡 石碑と案内板
草刈業者のトラックが歩道に乗上げ、このアングルが限界
②山口城跡 入口
②山口城跡
残っているのは塚だけ。
③中氷川神社 入口
③中氷川神社 鳥居
③中氷川神社 鳥居
③中氷川神社 狛犬
③中氷川神社 狛犬
③中氷川神社 拝殿前階段
③中氷川神社 拝殿
③中氷川神社 拝殿
③中氷川神社 境内社
③中氷川神社 金比羅摂社
③中氷川神社 境内
【武蔵國 式内社巡り】
中氷川神社(なかひかわ~)(山口)は、埼玉県所沢市山口にある神社。式内論社で、旧社格は県社。祭神は須佐之男命、奇稲田姫命、大己貴命。別称は「氷川さま」。社名の由来は、氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)と奥氷川神社(東京都西多摩郡奥多摩町)の中間にあるためとする説と、氷川神社と武蔵国国府(東京都府中市)の中間にあるためとする説がある。
社伝によると、創建は崇神天皇の御代(紀元前97年~紀元前30年)で、武蔵国造の崇敬が篤かった。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 入間郡 中氷川神社 小」の論社となっており、他の論社としては中氷川神社(埼玉県所沢市三ヶ島)がある。平安時代末期に当地を支配した武将・山口家継が社殿を造営し、その後兵火で焼失したが、戦国時代の天正年間(1573年~1593年)に山口高忠が再興した。入間郡、多摩郡の92ヶ村の総鎮守とされた。明治時代に入ると、近代社格制度の下、県社に列格した。
当社は、西部狭山線・下山口駅の西方1kmの、やや小高い場所にある。境内南端入口は大通り(都道55号線)に面していて、周辺は市街地になっている。参道を北進すると、小山の東斜面に形成されたメインの境内地に出る。そこから西向きに小山を登ったところに大きな社殿がある。全体としてかなり立派で、さすが旧県社格といったところ。
今回は、武蔵国の式内論社、旧県社ということで参拝することに。参拝時は週末の夕方、境内は自分以外にもぱらぱらと参拝者が訪れていた。
境内南端入口の<鳥居>と<社号標>。
<一の鳥居>の先には階段がある。左手の林が境内かな?
階段を登って参道を進む。紅葉がきれい。(o^―^o)
参道をしばらく歩くと<鳥居>が現れる。
さらに進むと広い場所に出る。あれ?社殿等は南向きではなく、東向きだったみたい...(^_^;)
それでは仕切り直し。境内東端入口にある<鳥居>。
鳥居をくぐって参道左側にある<狛犬>。
鳥居をくぐって参道右側にある<狛犬>。
参道の先を望む。階段上がったところに社殿が見える。
階段の途中、右側にある<金刀比羅神社>。
階段の途中、左側にある<絵馬掛け>。
階段を登り切ったところから<拝殿>全景。大きくて新しい綺麗な社殿。
<拝殿>正面。上部には「中氷川神社」と書かれた木製扁額が掛かる。
拝殿後ろの<本殿>。拝殿と繋がっていない様式。
拝殿に向かって左手を望む。建物がいくつかあるので見に行く。
一番奥にある<和魂宮>。
<和魂宮>正面。
和魂宮の脇にある大きな木の根。
左の大きな社が<石神神社>で、右の小さな社が<稲荷神社>。
稲荷神社前から見た<社殿>全景。
4つの神社が集まった境内社。左から順に<八坂神社>、<秋葉神社>、<市杵島姫神社>、<諏訪神社>。
斜めから<社殿>全景。
階段を下りて、境内北端にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所と向かい合う位置にある<神楽殿>。
最後に社殿方向を望む。紅葉のちょうど良い時期に来たようで、非常に美しい印象~♪ (^▽^)/
西武狭山線下山口駅から徒歩15分位のところに居られます。
氷川神社と奥氷川神社(武蔵國国府)の中間にあることから中氷川神社と呼ばれているようですが
これ同じ所沢でももう一社ありますね。
境内は広く、多少工事中のような箇所も見受けられますが
立体的な境内は静かで落ち着いた雰囲気でした。
ここでは近くの堀内天満宮さんの御朱印も頂けます。
摂社、境内社もいっぱい居られます。
境内社の金毘羅さんです。
質実剛健と言った感じですね。
狛犬さんはお馴染みの岡崎スタイルですね。
こちらは神楽殿でしょうか。
この先には何があるんだろうって感じでワクワクできる参道ですね。
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