御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
【サポーター特典】幸せと健康を毎月ご祈願
100年後に神社お寺を残せる未来へ
御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり

おすすめの投稿

じゃ
じゃ
2026年01月12日(月) 20時25分25秒
240投稿

何年か前に2年ほど蕨市に勤めたので懐かしくてお詣りしました 駅からは歩いて15分かからない位です 思っていたより境内は広く鳥居は4基ありました…東と北、西に2ヶ所 整列はしていません ちょっと不思議な感じでした
御祭神は摂社も合わせて九柱いらっしゃる様でした

和樂備神社(埼玉県)
和樂備神社(埼玉県)
和樂備神社(埼玉県)

御祭神

和樂備神社(埼玉県)
和樂備神社(埼玉県)
和樂備神社(埼玉県)

手水舎

和樂備神社(埼玉県)
和樂備神社(埼玉県)

狛右も下の狛左も『阿吽』の『阿』に見えるのは私だけでしょうか?

和樂備神社(埼玉県)
和樂備神社(埼玉県)

拝殿

和樂備神社(埼玉県)
和樂備神社(埼玉県)
和樂備神社(埼玉県)

境内案内図

和樂備神社(埼玉県)

社務所

和樂備神社(埼玉県)

神楽殿 臨時駐車場で開放していました

和樂備神社(埼玉県)

神社池

和樂備神社(埼玉県)

御神輿が展示されています

和樂備神社(埼玉県)

境内摂社

和樂備神社(埼玉県)
和樂備神社(埼玉県)
和樂備神社(埼玉県)
和樂備神社(埼玉県)
和樂備神社(埼玉県)

神社池側からの鳥居

和樂備神社(埼玉県)
和樂備神社(埼玉県)

もう閉まっていましたw

和樂備神社(埼玉県)

大判御朱印です

和樂備神社(埼玉県)

御朱印頂くと一緒に授与して頂ける本の栞とパンフレットです

もっと読む
投稿をもっと見る|
98

歴史

当社は、明治四十四年(1911)に蕨町の村社八幡社に町内の無格社十八社を合併して、社号を「和樂備神社」と改称した。
 八幡社の創建は明らかでないが、社伝によると蕨を所領とした足利将軍家の一族、渋川氏が蕨城を築き、八幡大神を奉斎したことがはじまりであるという。「渋川直頼譲状写」(賀上家文書)には観応三年(1352)渋川直頼から嫡子金王丸に譲られた所領として「武蔵国蕨郷上下」と記され、「鎌倉大草紙」には長禄元年(1457)曽祖父渋川義行が蕨を居城とした関係で、孫の義鏡が室町幕府から関東下向を命じられた旨の記述があるうこと、当社境内南の隣接地は、蕨城跡として埼玉県の旧跡に指定されていることからも蕨と渋川氏の結びつきを知ることができる。また当社の御神像である「僧形八幡立像」(蕨市指定文化財第十二号)にも天正十一年(1583)の墨書銘があって、当社の成り立ちとの関連をうかがわせる。
 江戸時代に八幡社は、「上の宮」と呼ばれ、三学院末の成就院が別当として祭祀を掌り「中の宮」(氷川社)、「下の宮」(氷川社)とともに蕨宿鎮守三社として最も重きをなした。
 明治となって八幡社は、同六年に蕨宿の村社に列せられ、同四十四年の合併によって社名社号を和樂備神社に改称した後、第二代蕨町々長岡田健次郎氏を中心に蕨にふさわしい神社にするべく整備を進めた。特に植樹については、東京帝国大学教授の本多静六林学博士を当地に招き、指導を受けた。和樂備神社が八幡社から継承した時点の境内地は、付属山林も含めて三百八十二坪であったが、町長自らも土地を手当てするなどして千百十一坪に拡張し、前庭など六百七十八坪を合わせると千七百八十九坪を誇る景観が姿をあらわした。
 大正十二年には埼玉県より「神社境内拡張」の許可を受け、内玉垣内を境内地に編入して前庭などと合わせて今日の境内にあたる風致景観の原型が完成をみて、翌十三年には埼玉県より「神饌幣帛料共進神社」の指定を受けることとなった。
 この後、昭和二十一年(1946)に国の管理を離れ、同二十八年に宗教法人法に基づき「和楽備神社」と登記され、平成三十一年に「和樂備神社」と改称された。

歴史をもっと見る|
16
名称

和樂備神社

読み方

わらびじんじゃ

御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
ホームページhttp://www.warabi.ne.jp/~jinja/
おみくじ

あり

絵馬

あり

詳細情報

ご祭神《主》誉田別尊
《相》素盞嗚尊・天照大神・木花咲耶姫命・天津児屋根命・猿田彦之命・大山咋命・大山祗命・蕨城主渋川公・菅原道真・倉稲魂命
ご由緒

当社は、明治四十四年(1911)に蕨町の村社八幡社に町内の無格社十八社を合併して、社号を「和樂備神社」と改称した。
 八幡社の創建は明らかでないが、社伝によると蕨を所領とした足利将軍家の一族、渋川氏が蕨城を築き、八幡大神を奉斎したことがはじまりであるという。「渋川直頼譲状写」(賀上家文書)には観応三年(1352)渋川直頼から嫡子金王丸に譲られた所領として「武蔵国蕨郷上下」と記され、「鎌倉大草紙」には長禄元年(1457)曽祖父渋川義行が蕨を居城とした関係で、孫の義鏡が室町幕府から関東下向を命じられた旨の記述があるうこと、当社境内南の隣接地は、蕨城跡として埼玉県の旧跡に指定されていることからも蕨と渋川氏の結びつきを知ることができる。また当社の御神像である「僧形八幡立像」(蕨市指定文化財第十二号)にも天正十一年(1583)の墨書銘があって、当社の成り立ちとの関連をうかがわせる。
 江戸時代に八幡社は、「上の宮」と呼ばれ、三学院末の成就院が別当として祭祀を掌り「中の宮」(氷川社)、「下の宮」(氷川社)とともに蕨宿鎮守三社として最も重きをなした。
 明治となって八幡社は、同六年に蕨宿の村社に列せられ、同四十四年の合併によって社名社号を和樂備神社に改称した後、第二代蕨町々長岡田健次郎氏を中心に蕨にふさわしい神社にするべく整備を進めた。特に植樹については、東京帝国大学教授の本多静六林学博士を当地に招き、指導を受けた。和樂備神社が八幡社から継承した時点の境内地は、付属山林も含めて三百八十二坪であったが、町長自らも土地を手当てするなどして千百十一坪に拡張し、前庭など六百七十八坪を合わせると千七百八十九坪を誇る景観が姿をあらわした。
 大正十二年には埼玉県より「神社境内拡張」の許可を受け、内玉垣内を境内地に編入して前庭などと合わせて今日の境内にあたる風致景観の原型が完成をみて、翌十三年には埼玉県より「神饌幣帛料共進神社」の指定を受けることとなった。
 この後、昭和二十一年(1946)に国の管理を離れ、同二十八年に宗教法人法に基づき「和楽備神社」と登記され、平成三十一年に「和樂備神社」と改称された。

「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ