かわぐちじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方100年後に神社お寺を残せる未来へ
おすすめの投稿

参拝記録⛩️
勾玉巡り②
敷地が広くたくさんの神様が鎮座されています。
ご祭神
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)
保食命(うけもちのみこと)
金山彦命(かなやまひこのみこと)
御由緒
川口神社はもと「氷川社」と称し、川口町の鎭守氏神(土地を治める神様)として古くから領主・住民の崇敬を篤くいただいておりました。
創始は天慶年鑑(てんぎょうねんかん:西暦940年前後)と伝えられており、暦応二年(1339年)及び天文四年(1535年)の板碑や室町初期の古神像、江戸期の棟札等が残されています。
江戸時代に「氷川大明神」と尊称され、八代将軍吉宗公が行った産米のための見沼開発における芝川落口の門樋工事において、工事成功祈願の後、成功の運びとなったことからこの神恩に感謝して神前に奉納された神鏡は現在市指定文化財となっています。
こちらは、満願印のみとなります。
絵馬、お札は、ありました。

勾玉巡り

正面鳥居





手水舎
























ハトさん🐦いました。
授与品
授与品をもっと見る|歴史
当社はもと「氷川社」と称し、川口町の鎮守氏神として古くから領主・住民の崇敬厚く、しばしば社殿の御造営や神宝の奉献があった。創祀についての記録は荒川の水害により失はれてゐるが、天慶年間(西暦940年頃)足立郡司判官代武蔵武芝の創建とも伝へ、暦応二年(1339)および天文四年(1535)の板碑、室町初期の古神像、江戸期の棟札数点等がある。
江戸時代には川口は幕府の御料所となり、当社社地は除地(免税地=氷川免)と定められ、氷川大明神と尊称した。徳川第八代将軍吉宗公は、産米を増し飢饉を防止するため見沼を開発し、見沼代用水路を完成させたが、芝川落口の門樋工事の際、幕府勘定役井澤弥惣兵衛為永の配下杉山貞七郎保英は当社に工事の成功を祈願し、享保十八年(1733)難工事を見事に完成させた。この神恩に感謝して神前に奉納した神鏡は、市指定文化財となってゐる。
維新後の明治六年に村社に指定されたのち、町内の天神社、稲荷社(三社)、金山社を合祀して、同四十二年に社名を「川口神社」と改めた。このうち金山社は、川口の伝統基幹産業である鋳物業の守護神として篤い信仰があり、その旧社殿(現・八雲社)は川口町最古の神社建築として、市の文化財に指定された。
昭和八年市制施行に伴ひ、川口市の総鎮守となり、同十年には県社に列せられた。
大東亜戦争後は、国の管理人を離れて神社本廳所属の宗教法人となり、中央・幸栄・並木地区十三町会の氏子を始め、五十万市民の崇敬を受けて今日に至ってゐる。
| 名称 | 川口神社 |
|---|---|
| 読み方 | かわぐちじんじゃ |
| 通称 | 氷川さま |
| 御朱印 | なし |
| ホームページ | https://kawagutijinja.sakura.ne.jp/ |
詳細情報
| ご祭神 | 《合》金山彦命,保食命,宇迦之御魂命,菅原道真,《主》素盞嗚命,《配》比売神 |
|---|---|
| ご由緒 | 当社はもと「氷川社」と称し、川口町の鎮守氏神として古くから領主・住民の崇敬厚く、しばしば社殿の御造営や神宝の奉献があった。創祀についての記録は荒川の水害により失はれてゐるが、天慶年間(西暦940年頃)足立郡司判官代武蔵武芝の創建とも伝へ、暦応二年(1339)および天文四年(1535)の板碑、室町初期の古神像、江戸期の棟札数点等がある。
|
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社お寺
周辺エリア
川口神社に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
























































































11
0