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じおんじ|天台宗

慈恩寺の御由緒・歴史
埼玉県 東岩槻駅

ご本尊千手観世音菩薩
ご由緒

「華林山慈恩寺縁起」には慈覚大師が大杉の霊木を毘沙門天のお告げにより、千手観世音菩薩を彫刻して、慈恩寺の本尊として崇めたことなどが記載されており、慈恩寺という寺名も大師が学んだ唐の長安(現西安)にある大慈恩寺にちなんで寺名としたことに起因しています。
 盛時には13万5千坪の境内と、塔中66ケ坊を有する大寺でしたが、数次の災厄のため烏有に帰し、現在に至っています。現在の本堂は、天保14年(1843)に建立されたもので、本尊は大師御作が焼失後、寛永年間(1624〜1643)に天海僧正が比叡山より将来されたものです。
 また、境内には天正17年(1589)に岩槻城主北条氏房の家臣、伊達与兵衛により寄進された南蛮鉄灯籠(市指定文化財)や、西遊記で名高い玄奘三蔵法師の霊骨も奉安されています

歴史
歴史[編集] 玄奘塔 この寺は、天長年間(824年 - 834年)円仁の開山によって創建されたと伝えられる天台宗[1]。1590年(天正18年)関東に入部した徳川家康から翌1591年(天正19年)に寺領を寄進されている。江戸時代に入ると江戸幕府のほか岩槻城主からも帰依を得た。日中戦争時の1942年(昭和17年)12月に日本軍が南京で発見した玄奘の遺骨の一部が戦後この寺に奉安されることとなり、1953年(昭和28年)5月に十三重の花崗岩の石組みによる霊骨塔・「玄奘塔」が落慶。 1955年(昭和30年)に日台友好のため、台湾に分骨され、現在は日月潭の玄奘寺に奉安されている。1981年(昭和5...Wikipediaで続きを読む
引用元情報慈恩寺 (さいたま市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%85%88%E6%81%A9%E5%AF%BA%20%28%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%BE%E5%B8%82%29&oldid=99781908

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