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慈恩寺ではいただけません
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慈恩寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月26日(水)
参拝:2020年5月吉日
慈恩寺は、埼玉県さいたま市岩槻区にある天台宗の寺院。山号は華林山、院号は最上院。本尊は千手観世音菩薩。通称は「慈恩寺観音」。坂東三十三所観音札所12番。
創建は平安時代初期の824年、開山は慈覚大師。当地の風景が、遊学した唐・長安の大慈恩寺の風景に似ていることから「慈恩寺」と名付けた。大慈恩寺は、天竺から仏典を持ち帰った『西遊記』三蔵法師のモデル・玄奘三蔵が漢訳に従事した寺。当寺の十三重塔には、近年、玄奘三蔵の遺骨が分骨され安置されている。
当寺は、東武野田線・岩槻駅の北北東5kmの平地にある。東京からクルマだと、東北自動車道・岩槻ICから北北東に7kmほど。市街地と農地のちょうど境目のような場所で、メインの境内は街の中、数百m離れた玄奘塔のある飛地境内は農地の中といった具合。メイン境内は、街中の割にはそれなりの広さがあり、大きな本堂は非常に立派。通常の樹木はほとんどないが、樹齢がすごそうな藤棚がある。飛地境内は農地の中にあるので草木は多い。
参拝時は週末の夕方で、参拝者はほとんどいなかった。
創建は平安時代初期の824年、開山は慈覚大師。当地の風景が、遊学した唐・長安の大慈恩寺の風景に似ていることから「慈恩寺」と名付けた。大慈恩寺は、天竺から仏典を持ち帰った『西遊記』三蔵法師のモデル・玄奘三蔵が漢訳に従事した寺。当寺の十三重塔には、近年、玄奘三蔵の遺骨が分骨され安置されている。
当寺は、東武野田線・岩槻駅の北北東5kmの平地にある。東京からクルマだと、東北自動車道・岩槻ICから北北東に7kmほど。市街地と農地のちょうど境目のような場所で、メインの境内は街の中、数百m離れた玄奘塔のある飛地境内は農地の中といった具合。メイン境内は、街中の割にはそれなりの広さがあり、大きな本堂は非常に立派。通常の樹木はほとんどないが、樹齢がすごそうな藤棚がある。飛地境内は農地の中にあるので草木は多い。
参拝時は週末の夕方で、参拝者はほとんどいなかった。
境内西側にある<山門>と<寺号標>。山門は江戸時代前期1691年の建立。
昔の西参道の突き当りになっていて、ここで車道が南側に10mほどずれる。
昔の西参道の突き当りになっていて、ここで車道が南側に10mほどずれる。
境内南側の入口。車道を挟んで南側にある駐車場から撮影。壁や生垣のない、オープンな境内。草木も少なくシンプル。
本堂遠景。大きくて立派な本堂。江戸時代末期1843年に再建、戦前の1937年に改修、最近2017年に屋根を大改修したとのこと。
本堂手前の右側にあるのが<納経所>。御朱印はこちら。
本堂正面。十三間四面の堂々たるサイズ。堂内には前立本尊の千手観音像や『西遊記』の絵、龍の天井画が見られるらしい。天海大僧正が納めた千手観音像は秘仏。
本堂正面に懸かる3種類の扁額。
南側から境内に入ってすぐ右手にある建物。賽銭箱がないので<寺務所>かな?
当寺の院号<最上院>の扁額。
山門の後ろにある、立派な藤棚。樹齢数百年はありそう。
藤棚のそばにある<聖徳太子堂>と石碑群。
メイン境内の最後にあらためて<本堂>。ここから徒歩10分ほどの距離にある飛地境内に移動する。
飛地境内の入口に立つ<玄奘塔>と書かれた中華風の門。
門をくぐったところ。メイン境内と違って、草木が多い。
まっすぐ進むと<玄奘塔>。高さ13mの御影石でできた十三重塔で、玄奘三蔵の遺骨が分骨され安置されている。
十三重塔の前にある<大摩尼車(転経器)>。
十三重塔の前に立つ<玄奘三蔵天竺求法像>。
すてき
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惣一郎1269投稿
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