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歴史

神社の創建は明らかではありませんが、江戸時代初期の「武州岩槻城図」に愛宕神社が記されています。言い伝えによりますと、「長禄元年(1457)太田資清(一説には道灌)が岩槻城を築くにあたり城郭として外濠と土塁(土居)を造った。するとその傍らに小さな祠一社があり風雨に曝された小板に幽かに迦具土命と云う字が見えた。これは火防の神(愛宕大神)であるので土塁上に移し奉祀した。」とされています。この日が七月二十四日であるという事であり、現在でも祭礼日として賑々しく祭典を行っております。
 迦具土命は火伏の神として知られており、当社では郷土の安全、家内安全、盗難除の信仰を集めております。また、境内末社には松尾神社、稲荷神社、天神社が祀られており、松尾神社には岩槻町内の寺院から東照宮が遷座合祀されています。
 氏子区域は元の武州岩槻藩の久保宿五ヶ町(上宿、中宿、下宿、丹過町、大工町)で、現在は町の発展と伴に愛宕町、西町、緑ヶ丘の地域が加わり計十二の各自治会の皆様が氏子となり、それぞれ総代を選出し神職と伴に祭典、清掃、整備等の神社運営を行っており、当社はこれら地域の産土神様として尊崇されています。

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名称岩槻愛宕神社
読み方いわつきあたごじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし

詳細情報

ご祭神《主》迦具土命
ご由緒

神社の創建は明らかではありませんが、江戸時代初期の「武州岩槻城図」に愛宕神社が記されています。言い伝えによりますと、「長禄元年(1457)太田資清(一説には道灌)が岩槻城を築くにあたり城郭として外濠と土塁(土居)を造った。するとその傍らに小さな祠一社があり風雨に曝された小板に幽かに迦具土命と云う字が見えた。これは火防の神(愛宕大神)であるので土塁上に移し奉祀した。」とされています。この日が七月二十四日であるという事であり、現在でも祭礼日として賑々しく祭典を行っております。
 迦具土命は火伏の神として知られており、当社では郷土の安全、家内安全、盗難除の信仰を集めております。また、境内末社には松尾神社、稲荷神社、天神社が祀られており、松尾神社には岩槻町内の寺院から東照宮が遷座合祀されています。
 氏子区域は元の武州岩槻藩の久保宿五ヶ町(上宿、中宿、下宿、丹過町、大工町)で、現在は町の発展と伴に愛宕町、西町、緑ヶ丘の地域が加わり計十二の各自治会の皆様が氏子となり、それぞれ総代を選出し神職と伴に祭典、清掃、整備等の神社運営を行っており、当社はこれら地域の産土神様として尊崇されています。

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