じょうせんじ|曹洞宗|岩本山
常泉寺のお参りの記録一覧
秩父札所3番・常泉寺は、1234年(文暦元年)3月18日、覚了和尚の開山と伝わり、当初は高篠山の中腹の岩窟に所在したと推定されている。その後、当地の名主堀内、家が現在地に建立し札所を移したと伝わっている。1847年(弘化4年)の火災で本堂が焼失したが、1858年(安政5年)に再建されている。また、本堂左手の観音堂は、1870年(明治3年)に秩父神社境内にあった蔵福寺の薬師堂を移築したものであり、宝形屋根、三間四面の構造である。
秩父の色づく山が美しい。
山装う 薬師如来に 手を合わせ
田園のなかの細い一本道を歩いて行くと、参拝者を仁王像が迎えてくれる。
この仁王像は見事だ。
この説明書きの石。埼玉県の形だ。新幹線、お蚕の形♪
こちらの観音堂は、神仏分離となったとき、明治3年(1870年)に、秩父神社境内の「薬師堂」を移築したものである。
空襲のなかった地域は、旧い物がそのまま残っており、趣がある。
『秩父札所第3番 岩本山常泉寺』
文暦元年(1234)覚了和尚の開山と伝わっています。当初は高篠山の中腹の岩壁に所在したと推定されています。
本堂左の階段を登った上に観音堂があり、本来は秩父神社の薬師堂として大里郡玉井の飯田和泉守の手によって建てられましたが、明治の神仏分離で常泉寺へ移築されました。
大國神社の宮司様から薬師堂(現観音堂)の龍の彫刻が素晴らしいからぜひ見て!とおすすめされて、これは絶対行かねばと思いお参りしました🤗
山に囲まれた田園風景がのどかで癒されました✨時間があれば周辺の神社お寺をもっと散策したかったのですが、またの機会に。
本堂
岩壁が迫力ありました。
観音堂
高台からの観音堂。
秩父はまだ紫陽花が咲いていますね!
境内の紫陽花と一緒な写真撮りました。
こちらの住職さんも労い&話しかけてくださいました。
だいぶ雨が強くなってきましたが、暑すぎるよりはいいかな。
紫陽花
2番納経所の光明寺さんに続いて、阿吽の像が迎えてくれましたが、秩父あるあるなのでしょうか?
令和4年4月 / 秩父1泊2日旅・1日目。
【札所二番 / 真福寺】から約2.5キロメートル【札所三番 / 常泉寺】です。
入口正面の本堂にお参り後、早々に御朱印を頂いてから観音堂へ。
観音堂は、秩父神社の境内にあった蔵福寺が廃寺となる際に薬師堂を譲り受けて移築したものだそうです。
抱くと子宝に恵まれると言われている【子持石】や、お寺の名前の由来となった、干魃でも枯れる事が無いとされる井戸【長命水】が有名です。
こちらで、ちょっと休憩。
次は【金昌寺】へ向かいます。
金昌寺へ行く途中、民謡「お止めばし」の看板があったり、川にかかる橋には巡礼のレリーフがあったり、
【如意輪観音堂】があったりと、楽しい道中でした。
《 MEMO 》
【光明寺】11:43 → 徒歩(ナビで) → 11:53【札所三番 / 常泉寺】12:28 →
(こちらで、ちょっと休憩。)
《観音霊験記 / 秩父順礼》から
【秩父三十四所観音霊場巡り(3/34)】(過去の参拝記録)
常泉寺(じょうせんじ)は、埼玉県秩父市山田にある曹洞宗の寺院。山号は岩本山。本尊は聖観世音菩薩。別名は「岩本寺」。秩父三十四所観音霊場第3番。
寺伝によると、創建は鎌倉時代の1234年、覚了和尚の開山。当初は高篠山の中腹の岩窟に所在したと推定されているが、その後現在地に移転したとされる。江戸時代末期1847年の火災で本堂を焼失したが、1858年に再建した。観音堂は明治時代初期の1870年に秩父神社境内にあった蔵福寺の薬師堂を移築したもの。
当寺は、秩父鉄道・大野原駅の南東1.3km、道のり2.8kmの小丘の東麓にある。2番札所の納経所(光明寺)からは道のり1.1km。背後に小丘の林を控えた境内はさほど広くはないが2段になっていて、北側の低い場所には本堂と寺務所、南側の少し高い場所には観音堂がある。
今回は、秩父三十四所観音霊場札所ということで参拝することに。参拝時は休日の午後、自分と同様秩父巡りをしていると思しき参拝者を何組も見掛けた。
参道の手前に駐車場があるので、バイクを止めて境内に向かう。
境内への参道。後ろが境内全景で、北側(写真右側)に伽藍が建ち、南側(写真左側)に墓地がある。
境内東端入口全景。入口に1本だけ、味のある古木が立っている。
いよいよ境内に入る。参道両側には露座の仁王像。
参道正面の<本堂>。
<本堂>正面。小窓からご本尊がしっかり見える。(o^―^o)
本堂正面左側に置いてある<なでぼとけ>。
本堂正面右側に置いてある<子持ち石>。当時の寺宝の一つ。
本堂の右隣にある<納経所>。御朱印はこちら。
本堂の左手(南方)の小高い場所にある<観音堂>に向かう。
観音堂に向かう途中にある<蓮池>。
蓮池の奥にある<文殊堂>。
蓮池の奥、文殊堂の左手にある<六地蔵>。
六地蔵の後方、やや高い岩肌にある石碑群。
観音堂への階段を登る。
<観音堂>全景。宝形屋根、三間四面。
<観音堂>の庇下の彫刻。見事な海老虹梁の龍の籠彫が見られる。
<観音堂>正面。扁額には「厄除観世音」の文字。小窓から観音像がしっかり見える。(o^―^o)
正面左側上部に掲げられている<奉納額>。
最後に<観音堂>全景。ほど良い広さの開放的な境内で見て廻るのも楽しい。(^▽^)/
秩父3番札所。
川を渡って田園風景が広がった所に仁王様がお出迎えします。
本堂の左手に観音堂がありますが、元々秩父神社内の蔵福寺の薬師堂
を移築したものです。
山側から向かう参道から仁王様が見守っています。
観音堂です。
虹梁と呼ばれる欄干には、龍のカゴ彫りと正面梁の鳳凰の彫刻が繊細でした。
子産石。
母親が子供を抱いているような形をして、子授けのご利益があると言われています。
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