きくすいじ|曹洞宗|延命山
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歴史
参道の入口に大櫻山長福寺の石柱が立っている。石柱をよく見ると側面に「札所三十三番 延命山菊水寺」との文字がある。これは札所の菊水寺が永禄12年(1569年)武田信玄の秩父侵攻の際に焼失、本尊の聖観世音菩薩像は炎上する菊水寺から村人らが運びだし、長福寺に安置した。そして、文政3年(1820年)長福寺は本堂を建て直し、菊水寺の本尊を寺の本尊として祀るようになった。もともとの菊水寺は、現在地から南東方向に600メートルほど離れた場所にあった。
菊水寺跡境内には、寺名の由来となった福寿延命の「菊水」という霊泉(菊水の井)があったが、道路整備等で菊水の井戸はすでに所在がわからなくなっている。
名称 | 菊水寺 |
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読み方 | きくすいじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0494-77-0233 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.chichibufudasho.com/313/1-31 |
巡礼の詳細情報
秩父三十四所観音 |
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詳細情報
ご本尊 | 聖観世音菩薩 |
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山号 | 延命山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
文化財 | 「孝行和讃」「子がえし」の絵図 |
ご由緒 | 参道の入口に大櫻山長福寺の石柱が立っている。石柱をよく見ると側面に「札所三十三番 延命山菊水寺」との文字がある。これは札所の菊水寺が永禄12年(1569年)武田信玄の秩父侵攻の際に焼失、本尊の聖観世音菩薩像は炎上する菊水寺から村人らが運びだし、長福寺に安置した。そして、文政3年(1820年)長福寺は本堂を建て直し、菊水寺の本尊を寺の本尊として祀るようになった。もともとの菊水寺は、現在地から南東方向に600メートルほど離れた場所にあった。
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体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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