よどひめじんじゃ
與止日女神社のお参りの記録一覧
564年創建と伝わる。
肥前国一の宮。
現在の社殿は1816年鍋島家により再建されたものである。
拝殿
拝殿
本殿
本殿
拝殿・本殿
三ノ鳥居 (肥前鳥居・1608年鍋島初代藩主・鍋島勝茂寄進)
與止日女天満宮
與止日女天満宮
大楠
大楠
西門(1573年建築)
西門(1573年建築)
二ノ鳥居
よどひめ神社
水、かわ、海の神様
家内安全、交通安全祈願や学問の神様の天満宮もあります。
そして、子授かり安産祈願の「金精さん」など。
5月には川を挟んで鯉のぼりが賑やかに泳ぐ見応えある神社です
今日もありがとう😌
6匹の狛犬さんのお出迎え
子授かり安産祈願の金精さん
参拝後この夫婦杉を2人手を繋いで一周しましょう笑♥️
無垢な真っ白な紫陽花…美しすぎる🥹
大楠祀られてました✨
【肥前國 式内社巡り】
與止日女神社(よどひめ~)は、佐賀県佐賀市大和町にある神社。式内社で、肥前國一之宮。旧社格は県社。祭神は、與止日女命(神功皇后の妹、一説に豊玉姫命)。別名は「河上神社」、俗名は「淀姫さん」。
社伝によると、欽明天皇25年(564年)創祀と伝わる。国史の初見は『日本三大実録』で860年に神階奉授の記載、873年に神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「肥前國 佐嘉郡 與止日女神社 小」に比定されている。のち応保年間(1161年~1163年)の頃には肥前國一之宮とされ、鎌倉時代の1261年には神階が正一位に達した。室町時代以降、地方豪族、武門、領主、藩主から篤く崇敬され、神領の寄進、安堵下文、祈願等がなされてきた。江戸時代後期1816年に社殿を焼失しているが、藩主・鍋島家により再建されている。明治に入り、近代社格制度の下、県社に列格した。
当社は、JR長崎本線・佐賀駅の北方8kmの、嘉瀬川上流・川上峡の西岸にある。川沿いの境内は南北に長く、旧県社らしく広々としているが、一之宮としては小さめか。境内の造りはシンプルで、大きな社殿を中心に周りにいくつかの境内社があるのみ。草木が少なめの明るい境内だが、残っている樹木はいずれも巨木で古社らしい雰囲気を醸し出している。
今回は、肥前國の式内社、肥前國一之宮、旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、小雨が降っていたこともあり、自分以外には参拝者は見掛けなかった。
境内南端入口の<二の鳥居>と<社号板>。一の鳥居はここから2km南方にあるとのこと。
社号板の後ろに<猿田彦大神>がある。
二の鳥居をくぐったところからの眺め。ここは駐車場で、白線で参道が示されている。
境内東側を流れる<嘉瀬川>。この辺りでは<川上峡>というみたい。
やがて参道は公園のようなゾーンに入る。
参道を進んで<三の鳥居>。この独特な造形は<肥前鳥居>と呼ばれるらしい。
肥前鳥居とは、室町時代末期から江戸時代にかけて、当地で多く造られもので、特色としては、
①笠木と島木が一体化していて、木鼻が流線形にのびている
②笠木・島木・貫・柱の各部分が継材となっていて、原則的には、各部分が3本継ぎになっている
③柱の下部に亀腹を設けず、柱の下部を削り出して、生け込みになっている。柱の上部には、台輪をつけ楔を設けない
などがあげられるとのこと。(「さがの歴史・文化 お宝帳」HPより引用)
三の鳥居をくぐって、参道左側にある変わった形の<手水舎>。手水盤に水が流れていなかったので構造は分からなかった。
参道右側の<金精さん>。子授かりの御神徳が伝わる男女石。
金精さんの後ろの、推定樹齢1450年(!)の大楠の木。
<拝殿>全景。左側には<神饌所>。狛犬が3組並んでいるので見ていく。
参道左側にある1組目の<狛犬>。相当年季が入っていて怖めのルックス。
参道右側にある1組目の<狛犬>。こちらも怖い。
狛犬の背後にある<松野谷夫の歌碑>。
歌碑の背後にある<夫婦杉>。
参道左側にある2組目の<狛犬>。現代的でマンガチック。
参道右側にある2組目の<狛犬>。
<拝殿>正面。しっかりとした向拝が印象的。
拝殿前左側にある<狛犬>。一番古いのかな。劣化、修復が著しい。
拝殿前右側にある<狛犬>。こちらは遠吠えスタイル。
<拝殿>内部。天井画が入っているのは珍しいかも。
拝殿から振り返って境内全景。
拝殿、神饌所の左手にある<大楠>。鍋島初代藩主勝茂が国の霊木として石垣を築き保護した。高さ30m、幹回り27mあったが、1813年に落雷により火災。
Google Mapでも<落雷大楠と石垣>と紹介されている。
拝殿後ろの<本殿>。拝殿同様、大きく重厚感がある。
本殿の左手にある<西門>。安土桃山時代の1573年の再建。
奥に見えるのは、かつて当社の神宮寺であった<実相院>の山門。
本殿の背後にある石製小祠群。
拝殿の左手にある<與止日女天神社>の鳥居。
<與止日女天神社>の社殿。
境内西端にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所から見た<社殿>全景。古社らしい趣と重厚感がある。
呼子イカ尽くしの夜が明け、
2日めは佐賀市内にある肥前一之宮:
與止日女(よどひめ)神社に参拝しました。
空は高く澄み、汗ばむほどの陽気で
絶好の行楽日和。
絶好のお参り日和!…と思ったのは
神社愛好家だけだったようで、
ひなびた境内には七五三の参拝客もおらず
のんびりしたもの。
社務所の前だけ御朱印帳持参の人びとで
行列ができてました。
でもこののどかな空気、好きだなあ。
いいお宮です。
こちらでは帰途の安全をお祈りし、
無事奈良の自宅へ帰って来ました。
今回は3つのお宮を参拝できて
私の一之宮巡りも順調!
いいお参り、いい旅でした😄
境内の大楠。巨大です👀
おもしろい形の手水舎。チョロチョロ水が出てました。
【諸国一宮巡り】十五カ所目。
ご朱印。 お気持ち程度と言われ300円しか受け取られませんでした。
本殿。
手水舎。
川に流れる鯉のぼり。
藤棚。
樹齢 1,400年のクスの木
肥前一之宮 與止日女神社へ初めてお参りしました。
境内の大楠に歴史を感じました。
数々の御神木が、優しい木陰を作ってくれていました。
神社となりの川上峡には、鯉のぼりがたくさん泳いでいました。
子供たちを多く感じたのは、鯉のぼり見物だったのでしょう。
子供達の賑やかな声を聞きながらも、のんびりとお参りできました。
鳥居
拝殿
境内から川上峡を泳ぐ鯉のぼりが見えます
拝殿内部
御神木
拝殿前の狛犬さま
拝殿前の狛犬さま
手水舎
御神木
與止日女神社(よどひめじんじゃ)
肥前一之宮
旧社格:県社
御祭神:與止日女命(=豊玉姫だという説もあるそうです)
ようやく連休が取れたので
今回は佐賀県へ神社巡りツーリングへ。
佐賀県で御朱印をもらうのは初めてなので
こちらの御朱印帳を購入。
御朱印。
最初に訪れたのは與止日女神社。
まずは一之宮でご挨拶。
二の鳥居。
一の鳥居もそうですが、一体化した笠木・島木および
貫、柱もそれぞれが三本継ぎ、
柱は下のほうが太くなるのが『肥前鳥居』の特徴だそうです。
中を進むと右手に石が。
子宝に恵まれなかった與止日女命が触れたところ、
色白できめこまやかな玉のごとき子宝を授かったそうです。
神社の横は景勝地・川上峡
狛犬。
御社殿。
実はこちらに到着前、高速を走行中に
ミラーで後方を見たら赤色灯をつけた覆面パトが追いかけて来ました。
やられた・・・と思ったら別の車でした。
これは宮崎からお参りに来た自分を
與止日女命が迫る魔の手?から救ってくれたのだろうと
少しだけお賽銭を奮発しました(笑)
境内にある與止日女天満宮。
大楠。
1813年に落雷による火災にあったそうですが、
古くから御神木とされていたそうです。
境内西側には西門があります。
佐賀を訪ねる機会があり、空き時間に肥前一ノ宮の與止日女神社にお参りしました。
この地方独特の「肥前鳥居」という鳥居があることを知り、実物を見たいと思いました。鳥居の最上部の笠木と島木が一体化し、端は曲線になっていること、柱は下部ほど太くなること、などの特徴があります。多くは戦国期から江戸時代初期に作られたそうです。神社の駐車場から社殿に向かう参道に肥前鳥居がありました。なるほど、ほかの地域では見たことがない形状でした。
鳥居もさることながら、手水舎も六角形の柱状で、こちらもかなり珍しいのではないかと思いました。
境内は嘉瀬川に隣接しています。のんびりと、長居がしたくなるような空間でした。
肥前国一宮です。八幡神で有名な神功皇后の妹君を祀る神社で、側の嘉瀬川の氾濫を抑えるために鎮座しています。
《鳥居》
《表参道》
《手水舎》
《由緒書き》
《拝殿》
《拝殿天井の絵》
《本殿》
《末社・天満宮》
《御神木》
なぜか境内の外にあります。、
参道にはベンチが多く設置されており、ご老人たちの憩いの場となっていました。
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