よどひめじんじゃ
與止日女神社佐賀県 佐賀駅
社務所:09:00〜17:00
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方市街地から北へ離れて、肥前國一宮の格式高い神社にやって来ました。川沿いに鎮座しているので、朝から休憩無しに廻っていたので暫し小休止。
一の鳥居
猿田彦神大神
二の鳥居
庚申社
由緒書
手水舎
夫婦杉
昭和十二年(1937)奉納の狛犬
拝殿
大正四年(1915)奉納の燈籠
狛犬
燈籠
狛犬
弘化四年(1847)奉納の賽銭箱
拝殿内
本殿
西門
燈籠
【肥前國 式内社巡り】
與止日女神社(よどひめ~)は、佐賀県佐賀市大和町にある神社。式内社で、肥前國一之宮。旧社格は県社。祭神は、與止日女命(神功皇后の妹、一説に豊玉姫命)。別名は「河上神社」、俗名は「淀姫さん」。
社伝によると、欽明天皇25年(564年)創祀と伝わる。国史の初見は『日本三大実録』で860年に神階奉授の記載、873年に神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「肥前國 佐嘉郡 與止日女神社 小」に比定されている。のち応保年間(1161年~1163年)の頃には肥前國一之宮とされ、鎌倉時代の1261年には神階が正一位に達した。室町時代以降、地方豪族、武門、領主、藩主から篤く崇敬され、神領の寄進、安堵下文、祈願等がなされてきた。江戸時代後期1816年に社殿を焼失しているが、藩主・鍋島家により再建されている。明治に入り、近代社格制度の下、県社に列格した。
当社は、JR長崎本線・佐賀駅の北方8kmの、嘉瀬川上流・川上峡の西岸にある。川沿いの境内は南北に長く、旧県社らしく広々としているが、一之宮としては小さめか。境内の造りはシンプルで、大きな社殿を中心に周りにいくつかの境内社があるのみ。草木が少なめの明るい境内だが、残っている樹木はいずれも巨木で古社らしい雰囲気を醸し出している。
今回は、肥前國の式内社、肥前國一之宮、旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、小雨が降っていたこともあり、自分以外には参拝者は見掛けなかった。
境内南端入口の<二の鳥居>と<社号板>。一の鳥居はここから2km南方にあるとのこと。
社号板の後ろに<猿田彦大神>がある。
二の鳥居をくぐったところからの眺め。ここは駐車場で、白線で参道が示されている。
境内東側を流れる<嘉瀬川>。この辺りでは<川上峡>というみたい。
やがて参道は公園のようなゾーンに入る。
参道を進んで<三の鳥居>。この独特な造形は<肥前鳥居>と呼ばれるらしい。
肥前鳥居とは、室町時代末期から江戸時代にかけて、当地で多く造られもので、特色としては、
①笠木と島木が一体化していて、木鼻が流線形にのびている
②笠木・島木・貫・柱の各部分が継材となっていて、原則的には、各部分が3本継ぎになっている
③柱の下部に亀腹を設けず、柱の下部を削り出して、生け込みになっている。柱の上部には、台輪をつけ楔を設けない
などがあげられるとのこと。(「さがの歴史・文化 お宝帳」HPより引用)
三の鳥居をくぐって、参道左側にある変わった形の<手水舎>。手水盤に水が流れていなかったので構造は分からなかった。
参道右側の<金精さん>。子授かりの御神徳が伝わる男女石。
金精さんの後ろの、推定樹齢1450年(!)の大楠の木。
<拝殿>全景。左側には<神饌所>。狛犬が3組並んでいるので見ていく。
参道左側にある1組目の<狛犬>。相当年季が入っていて怖めのルックス。
参道右側にある1組目の<狛犬>。こちらも怖い。
狛犬の背後にある<松野谷夫の歌碑>。
歌碑の背後にある<夫婦杉>。
参道左側にある2組目の<狛犬>。現代的でマンガチック。
参道右側にある2組目の<狛犬>。
<拝殿>正面。しっかりとした向拝が印象的。
拝殿前左側にある<狛犬>。一番古いのかな。劣化、修復が著しい。
拝殿前右側にある<狛犬>。こちらは遠吠えスタイル。
<拝殿>内部。天井画が入っているのは珍しいかも。
拝殿から振り返って境内全景。
拝殿、神饌所の左手にある<大楠>。鍋島初代藩主勝茂が国の霊木として石垣を築き保護した。高さ30m、幹回り27mあったが、1813年に落雷により火災。
Google Mapでも<落雷大楠と石垣>と紹介されている。
拝殿後ろの<本殿>。拝殿同様、大きく重厚感がある。
本殿の左手にある<西門>。安土桃山時代の1573年の再建。
奥に見えるのは、かつて当社の神宮寺であった<実相院>の山門。
本殿の背後にある石製小祠群。
拝殿の左手にある<與止日女天神社>の鳥居。
<與止日女天神社>の社殿。
境内西端にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所から見た<社殿>全景。古社らしい趣と重厚感がある。
参拝記念⛩️✨️
肥前國一宮 與止日女神社
別称 【河上神社】
佐賀県佐賀市大和町に鎮座する與止日女神社へ参拝に上がらせて頂きました🙏
前日に福岡入りをして佐賀市で宿の手配を…と考えていたのですがレンタカーとの兼ね合いで、ちょっと寝坊したため(^_^;)
9時30分頃からの参拝です。
駐車場に何台か車は停まっていますが、境内を参拝している人は他に1組しかいなかったためゆっくりと参拝させて頂きました。
御祭神/與止日女命 (よどひめのみこと)
神功皇后の妹君とされ、また一説には神武天皇の祖母神である豊玉姫様と同一神であるとも伝わります。
のどかな風景に清々しい空気が流れとても素敵な時間を過ごさせて頂きました🙏
また佐賀県を訪れる際は上がらせて頂きたいと思います♪
御朱印 書入れ
御朱印帳
デザインが同じで色違いがあり全3種類ありました
色はピンクと黒と水色の3種類です
二の鳥居
三の鳥居
略記
御神木
手水舎
かなり特徴的✨️
拝殿前
狛犬さんがいっぱい
拝殿内
本殿
境内の様子
大楠
西門
與止日女天満宮
夫婦杉
枝の角度に見惚れてました♪
絵馬
欽明天皇二十五年(564)創祀され、延喜式内社で、のち肥前国一宮と崇められ弘長元年(1261)正一位を授けられた。
朝廷の御崇敬あり、また、鎌倉幕府のはじめ武門、領主、藩主の尊信を受けた。
明治四年県社に列す。
住所 | 佐賀県佐賀市大和町川上1-1 |
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行き方 | JR長崎本線 佐賀駅からバス、川上橋バス停下車後徒歩すぐ
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名称 | 與止日女神社 |
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読み方 | よどひめじんじゃ |
通称 | 河上神社・淀姫さん |
参拝時間 | 社務所:09:00〜17:00 |
参拝にかかる時間 | 10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 真ん中に與止日女神社と書かれ、右上に肥前一宮の印、真ん中に與止日女神社の社印が押されています。
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限定御朱印 | なし |
御朱印の郵送対応 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0952-62-5705 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | yodohime-j@hi3.enjoy.ne.jp |
ホームページ | https://yodohime-jinja.jimdo.com/ |
絵馬 | あり |
SNS |
日本全国の一宮まとめ |
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ご祭神 | 與止日女命 |
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創建時代 | 欽明天皇二十五年(564年) |
本殿 | 五間社流造 |
文化財 | 河上神社文書14巻(247通)(国重要文化財)
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ご由緒 | 欽明天皇二十五年(564)創祀され、延喜式内社で、のち肥前国一宮と崇められ弘長元年(1261)正一位を授けられた。
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体験 | 御朱印重要文化財一の宮 |
概要 | 與止日女神社(よどひめじんじゃ、与止日女神社)は、佐賀県佐賀市にある神社。式内社、肥前国一宮で、旧社格は県社。 「淀姫神社」とも表記され、別称として「河上神社」、通称として「淀姫さん」とも呼ばれている。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建[編集] 『肥前国風土記』逸文(神名帳頭注)によれば、欽明天皇25年(564年?)11月1日に與止姫の神が鎮座したという。 世田姫神社の北に川上があり鮎や謂魚が逆流して潜ったりしていたとあり、同書に収録された川にまつわる説話から、水神信仰として成立したものと見られている[1]。 概史[編集] 延長5年(927年)の『延喜式』神名帳では肥前国佐嘉郡に「與止日女神社」と記載され、式内社に列した。弘長元年(1260年)に最高位の正一位の神階を授けられた。 平安時代には、肥前国では田島坐神社(現 田島神社)が安全航海の神として崇敬され、神階も当社より上で『神名帳』では肥前国...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事[編集] 春祭 (4月18日) 秋祭 (10月10日) 新嘗祭 (12月18日) |
引用元情報 | 「與止日女神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%88%87%E6%AD%A2%E6%97%A5%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=104932283 |
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