からくにじんじゃ
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楽しみ方辛國神社のお参りの記録一覧(2ページ目)

大阪府藤井寺市にあります、
辛國神社に参拝しました。
物部氏の祖を祀った事にはじまったと云われる、創建1500年程の歴史がある式内社であります。
鳥居をぐぐって緑深い参道や境内が癒やしの空間であり、[大阪みどりの百選]に選ばれています。
葛井寺参拝後に訪れて参拝、御朱印を頂きました。





末社 春日稲荷神社

末社 春日天満宮


訪れた時、御朱印は書き置きのみでした。

西国三十三ヶ所巡礼第5番札所の葛井寺から、ちょっと南に行ったところに鎮座されています。
およそ1500年の長い歴史のある神社で、この地方を治めた物部氏の祖神を祀ったのが、その始まりとされています。
豊かな自然の参道は、「大阪みどりの百選」の1つにも選ばれています。


辛國神社の御創建と御祭神の説明板

辛國神社の由緒書

手水舎

辛國神社の拝殿

辛國神社の神殿

春日天満宮

春日稲荷社の鳥居と扁額

春日稲荷社の拝殿

御朱印をいただきました

この日最後は辛國神社を参拝いたしました。 先にお参りした葛井寺の南大門から西側すぐ隣に鎮座しています。 鳥居から拝殿までの参道は「大阪みどりの百選」にも選ばれていて、木立の中に真っ直ぐと伸びた参道は心地よく、清々しい参拝を予感させてくれます。 由緒には、創建年は不詳なるも、日本書紀の記述から「雄略天皇13年(469年)春3月、餌香長野邑(えがながののむら)を物部目大連(もののべのめおおむらじ)に賜う」とあり、餌香長野邑は旧藤井寺町のあたりと思われ、この地方を治めることになった物部氏が祖神である饒速日命(にぎはやひのみこと)を祀って神社をつくり、その後、物部氏同族の辛國連(からくにのむらじ)が祭祀の中心を務めたことから辛國神社と称するようになった、とされています。 また室町時代中期には、河内国守護だった畠山基国が社領二百石を寄進し、同時に奈良の春日大社に祀られている天児屋根命(あめのこやねのみこと)を勧請し祭神に加えたことから、江戸時代の後期ごろまでは「春日大明神」「春日社」と称されていたようです。 「辛國神社」と再び呼ばれるようになったのは明治になってからで、明治41年(1908年)には葛井寺の南西隅にあったとされる長野神社の祭神、素盞鳴命(すさのおのみこと)を合祀し主祭神は三柱となり現在に至るようです。
住宅地の中に在りながら緑に囲まれ、静かで程よいサイズ感のお詣りしやすい神社でした。 因みに近鉄・藤井寺駅から直接向かうと5分程度の距離ですが、参道の途中から鳥居を潜らず境内に入るようになってしまいます。 葛井寺側からのアクセスをお勧めします。

辛国神社・一の鳥居とその先に続く参道

辛国神社・二の鳥居
長野神社から移設された石鳥居です。

辛国神社・神門と大絵馬

辛国神社・手水舎

辛国神社・拝殿

辛国神社・春日稲荷社

辛国神社・春日天満宮

辛国神社・伊勢神宮遥拝所

辛国神社・由緒書

御朱印

鯉の御神籤
鯉(恋)守りです。

時間があったので少し足を伸ばして葛井寺さんへ。初めて伺いました。
駅から近いのでここなら大丈夫!と思い、ナビを見ながら葛井寺さんに先に伺いう予定だったんです。でも、気づいたらそこは辛國神社さんだったという・・・なかなかの方向音痴ぶりを発揮してしまいました。
でも葛井寺さんの後に辛國神社さんにもお参りするつもりだったので、まぁ良しとします。
とてもきれいな参道ですね。
大阪みどりの百選にも選ばれているそうです。
街中にあり住宅に囲まれている場所で、地元の方が次々にお参りに来られていました。
御朱印いただきましたが、日付を間違えてしまいました、すいません、と丁寧にお詫びされました。全然問題無し!です。
ありがとうございました。











葛井寺の隣にある事は認識していたが、なかなか機会が無く今日、初参拝。
5世紀後半、物部目大連が、祖神を祀ったのが始まりとされる。

拝殿


春日天満宮

春日天満宮

春日天満宮

春日稲荷社

春日稲荷社

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