どうみょうじてんまんぐう
道明寺天満宮のお参りの記録一覧(3ページ目)
第十一代垂仁天皇のころ、このあたりを本拠地としていた古代豪族の土師氏が、その祖神とする天穂日命(天照大御神の御子)を祀ったものとされています。
土師氏は、はにわの作製などを通じて古墳造営などに携わったとされ、菅原道真の菅原氏の前身でもあります。
当初は土師氏によって土師神社が創祀され、その後菅原道真のゆかりによって境内に天満宮も祀られるようになり、また土師寺(後に道明寺)も創建されたとのことです。
土師神社と道明寺(土師寺)は同じ境内でしたが、明治の神仏分離により道明寺が移設され、昭和の時代になって土師神社が道明寺天満宮と改称されたとのことです。
現在は土師社が天満宮の境内社(元宮)として鎮座されており、主客逆転したような感じとなっております。
平成二十七年三月七日に参拝しましたが、御本殿裏にある梅園の梅が満開状態でした。素晴らしかったです!!
御朱印をいただきました。
感謝です!!拝。
土師社(元宮)
御本殿後方の梅園
大阪府藤井寺市道明寺の道明寺天満宮にご参拝させていただきました☺️
ご祭神
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)さま
天穂日命(あまのほひのみこと)さま
覚寿尼公(かくじゅにこう)さま
です。
ご本殿とご本殿の真うしろで畏かしこみ畏かしこみ身滌大祓(みそぎのおおはらい)をご奏上させていただきました。神さまに届きましたでしょうか☺️
ちょうど梅まつりをやっていて、たくさんの梅を観させていただきました😊
やっと春が来たんですねー(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑
精進して また ご参拝させていただけますように☺️
いつも見守っていただいて🐦⬛🪶
ありがとうございます☺️
ご本殿真うしろ
ご本殿
ご本殿
#道明寺天満宮
ご祭神は菅原道真公、アメノホヒの命、覚寿尼公。
#天穂日命
古事記では天菩比命または天之菩卑能命、日本書紀では天穂日命。アマテラス大神とスサノオの尊による”うけい”で、アマテラス大神が持っていた勾玉から生まれた5柱の男神の1柱。5柱の兄弟のうち、古事記・日本書紀とも2番目とする。
”たかまのはら”の神々が国譲りの交渉に最初に送り込んだ使者。だが反対にオオクニヌシの神に心酔し、”たかまのはら”とは音信不通になったと。
古事記だと次にアメワカヒコが派遣されるが、日本書紀では彼に先立ち、アメノホヒの命の御子タケミクマノウシが”葦原の中つ国”へ赴く。しかし父親と同じスタンスを選び何の報告もよこさなかったと。
平凡社ライブラリー版の風土記だと、出雲国風土記の直後に、”出雲の国造かんよごと”という祝詞が掲載されている。
こちらによるとアメノホヒの命は、子アメノヒナトリの命、そしてフツヌシの命と共に”葦原の中つ国”に降臨し、荒ぶる神々を払って平定し、オオアナモチの命を「媚び鎮め」て、大八島国の現世の統治を天孫に委譲させた。
なお、ウィキペディアは日本書紀のいうタケミクマノウシを、”出雲の国造かんよごと”のいうアメノヒナトリの命の別名とするが、僕は確信がない。
関西風の桜餅を作るときに使用する「道明寺粉」というお米を砕いたような粉があります。その粉の発祥の地として名高いこの神社。
(ただし神仏分離により今は「道明寺」という尼寺で作られています)
神仏霊場の御朱印を頂きに参りました。
桜の季節でもあったので名所を避けてここまで来たのですが、地元の人とお話しさせていただいたところ、今はまだ咲き始めだから人は少ないが満開になると人で溢れます。ただし、花より団子ですけどねと教えていただきました。(笑)
桜の名所と言われるだけあってかなりの数の古木が植わっていました。中には能舞台があり、本殿裏には道真公由来の梅園も広がっていました。
この辺りは古墳が多く点在している地域でもあり、その古墳の造営や葬送儀礼をおこなった土師氏(はじし)の土地だった場所にあり元々寺だった場所に道真ゆかりという事で天満宮も併設されていたらしいです。(由緒はこの基本情報で)
ここには巨石を動かすために使われたという「修羅」という船形の出土品が残っています。実物を見たのは初めてでちょっとテンションがあがりました(苦笑)
またこの辺りは大坂夏の陣の激戦地として「道明寺合戦」と呼ばれる戦いがあった場所で、伊達政宗勢により後藤又兵衛が戦死した合戦です。
この付近に埴輪を焼く窯があった
梅林
元土師社
修羅
近所のお布団屋さんで売られてた古墳クッション(笑)
大阪府のおすすめ3選🎍
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