どうみょうじ|真言宗御室派
道明寺のお参りの記録一覧
大阪府藤井寺市にあります、
道明寺に参拝しました。
真言宗御室派の寺院(尼寺)で、山号は【蓮土山】御本尊は【十一面観音】
聖徳太子霊跡 第3番札所。
河内飛鳥古寺霊場 第5番札所。
道明寺は7世紀中葉に土師氏の氏寺として建立された土師寺を起源とした尼寺です。土師氏の後裔である菅原道真公が、太宰府下向に際して伯母の覚寿尼を訪れたゆかりの地です。 また関西風桜餅(道明寺餅)など和菓子の材料として知られる「道明寺糒」「道明寺粉」発祥の寺としても有名です。
初詣2日目 道明寺天満宮の次に訪れ参拝させて頂きました。こちらは訪れた時は、かなり空いていたのでゆっくりと見て周れました。
参拝後に御朱印を直書きで頂きました。
2寺目は、葛井寺と同じ藤井寺市に在る蓮土山 道明寺です。葛井寺から東へ約3km弱と近いです。
真言宗御室派で、本尊は十一面観音。
この十一面観音立像は国宝で、1月1日~3日と4月17日と毎月18日、25日に開帳されます。もう1躯の十一面観音立像(非公開)と聖徳太子立像は重文です。
私は約2年前に参拝していますので今回で2回目。因みに、大阪府内には国宝仏が5寺にあり、その内の2寺を本日拝観する事になります。残りの3寺は、河内長野市の観心寺、金剛寺と交野市の獅子窟寺です。
伝えによれば、聖徳太子の尼寺建立にあたり、土師氏が邸宅を寄進して、土師神社の南側に土師氏の氏寺・土師寺を建立した。当時は五重塔がそびえ立つ七堂伽藍であった。大宰府に左遷される菅原道真(祖先は土師氏)がこの寺の叔母の覚寿尼を訪ね、別れを惜しんだと伝わる。菅原道真が自ら刻ったとされる十一面観音像を祀って土師寺を道明寺と改めた。(「道明」は菅原道真の号)1575年の兵火により殆どが焼失するも再興。明治の神仏分離により道明寺は道明寺天満宮と分離し、現在地に移転し現在に至ります。
山門(楼門)の南側に無料駐車場があります。山門をくぐると右側に護摩堂、左側に鐘楼、正面に大師堂。太子堂の手前左側に本堂があります。本堂右側の納経所にて拝観料(500円)を納めて、併せて御朱印をお願いしました。前回は御朱印帳に直書き頂きましたが、今回はコロナ禍のため書置きのみでした。それでは本堂に入ります。壇上正面の厨子の中に国宝本尊・十一面観音が安置されています。アクリル板越しとなりますが、近くから拝観できます。高さ約98cm、榧(カヤ)と思われる材の一木造。素地仕上げの檀像様。製作は平安時代前期の9世紀頃と考えられており、目は刻眼ではなく石(宝石?)が嵌められています。細かな装飾、衣の襞は複雑でとても丁寧。流石、国宝です。
左奥には重文の聖徳太子立像。高さ約120cm、寄木造、玉眼、像内納入品から1286年の作。また、「試みの十一面観音像」と呼ばれる重文の十一面観音を所蔵されていますが非公開となっています。一度拝観したいですね。
御朱印
山門(楼門)
護摩堂
手水
本堂
本尊・十一面観音立像(国宝)
(ネットから転載)
大師堂
聖徳太子を巡るシリーズ その10
河内長野市から近鉄線に乗り換えて藤井寺市へ。
聖徳太子霊跡第3番札所の真言宗寺院。ご本尊は十一面観音です。
道明寺の周辺は土師氏の根拠地で、菅原道真の祖先の当たる豪族です。
聖徳太子の尼寺建立の発願により寄進して、今の道明寺八幡宮の近くに「土師寺」を建立。
901年太宰府に左遷される菅原道真はここを訪れています。
道真の死後、自らが彫ったとされる十一面観音を祀って道明寺と改称しました。
「道明」は道真の号から取ったものと言われています。
16時過ぎに訪れ、元々大きな境内でとても静かでした。
ちょうど、お寺の方がいらっしゃったので御朱印を直書きでいただく事ができました。
大師堂です。
本堂です。
ゆっくりお参りです。この隣に受付がありますが、ひっそりとしていました。
ご本尊の十一面観音。
毎月18日・25日が拝観日になっており、正月三が日と4月17日も拝観日に「なっています。
道明寺天満宮さんの後に伺いました。
こじんまりとしていますが、枝垂れ桜が美しく出迎えてくれました。
しかし一歩境内の中に入ると、なんと工事のための板が一面に敷き詰められていました。
御本殿の中にまでブルーシートが敷かれており、一応お参りはしましたがなんだか残念な感じでした。
御朱印もコロナ禍のため書置きのみ、という貼り紙がありましたが、窓口は閉まっており人もおられませんでしたのでいただく事はできませんでした。
HPを見てみると、感染対策のため御朱印対応は当面の間控える、とあります。でも工事のことは書かれてないなぁ。
また来年、機会があれば伺おうと思います。
続いて、道明寺天満宮と隣接する道明寺へ。 道明寺は推古天皇2年(594年)、聖徳太子の発願により土師氏(はじうじ)の氏寺として建立された土師寺を起源とした尼寺です。 また、土師氏の後裔にあたる菅原道真公が、大宰府へと左遷される際に伯母の覚寿尼(かくじゅに)を訪れた縁の寺でもあります。 天暦元年(947年)には道真公の手彫りと伝わる十一面観音像(国宝)を本尊として祀り、道真公の号である「道明」から道明寺と寺号を改めました。 先に投稿した「道明寺天満宮」とは明治の神仏分離令により別々となりましたが、かつてはは七堂伽藍や五重塔などもあった、かなりの規模のお寺だったようです。 境内は隅々まで手入れが行き届いた印象で、お庭の玉砂利は美しい模様で掃き清められていて気持ちよく参拝させていただきました。
道明寺・寺院名碑と参道
道明寺・桜門
道明寺・由緒書
道明寺・手水舎
道明寺・本堂
道明寺・本堂
道明寺・太子堂
道明寺・護摩堂
道明寺・境内
お地蔵さま
道明寺・境内
石造(手前)と青銅(右奥)の観音さま
道明寺・多宝塔と英文の解説碑文
英文の碑は珍しいです
御朱印
(聖徳太子霊跡3番札所)
(河内六観音)
(河内飛鳥古寺5番札所)
(古市古墳群と六社寺めぐり)
大阪の陣の激戦地でもあるこの辺りは、すごく行きたかったところです。
推古天皇2年(594年)、聖徳太子の発願により土師連八嶋がその邸を寄進して土師氏の氏寺・土師寺を土師神社(現・道明寺天満宮)の南に建立し、やがて神宮寺となったとのこと。当時は七堂伽藍や五重塔のある大規模なものであったのだそうです。
また、大宰府に左遷される道真がこの寺にいた叔母の覚寿尼を訪ね、別れを惜しんだと伝えられています。
境内は、とても綺麗でした。本堂の国宝のご本尊などは拝観できなかったのが残念ですが、外よりお参りしました。
御朱印 河内六観音 古市古墳群と六社寺めぐり
御朱印 聖徳太子霊跡3番
御朱印 河内飛鳥古寺5番
寺号標
山門
縁起
多宝塔
地蔵尊像
石仏
仏像
庫裡
大日堂
本堂
道明寺について
《聖徳太子ご霊跡巡り その3》
菅原道真の祖先にあたる土師(はじ)氏の氏寺です。
その昔、聖徳太子の尼寺建立の願いに応じ、土師氏の自宅を寺として寄進し土師寺と称したのに始まるとされます。
道真が大宰府へ左遷される前、この寺にいた叔母を訪ねて別れを惜しんだと伝えられます。道真の死後、道真が自ら刻んだとされる十一面観音像を祀って土師寺を道明寺と改めますが、これは道真の号である「道明」に由来するとか。ご本尊の十一面観音菩薩は国宝です。
その4へ
https://hotokami.jp/area/osaka/Hmatz/Hmatztk/Dzgkr/9045/166912/
その2へ
https://hotokami.jp/area/osaka/Hmata/Hmatats/Dktktt/8488/166519/
《ご朱印》
第3番「木槵樹」
《山門》
《ご由緒書》
《本堂》
2021年の御朱印収集の旅が始まりました!
まずは「蓮土山道明寺」をお参りしました!
ご本尊国宝「十一面観世音菩薩」の御朱印をいただきました。
本堂です。
大子堂です。
護摩堂です。
大阪府のおすすめ2選🎌
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
11
0