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新屋坐天照御魂神社ではいただけません
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にいやにますあまてるみたまじんじゃ

新屋坐天照御魂神社
大阪府 総持寺駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

境内にあり

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神祇伯
神祇伯
2022年10月24日(月)
1406投稿

摂津国島下郡の名神大社です。関西地域に見える"天照(御魂)神社"のうちの一社で、数少ない名神大社にも選ばれています。社名が長いので基本的には新屋神社と呼ばれているようです。

新屋坐天照御魂神社の鳥居

《鳥居と社号碑》
主要道路を挟んで神社と反対側に鳥居があります。当時はあまり気にしてなかったのですが、鳥居の柱の部分を覆うように黄と黒の注意を促すマークがついてます。トラックでもぶつかったんでしょうか?

新屋坐天照御魂神社(大阪府)

《表参道》

新屋坐天照御魂神社(大阪府)

《入口の鳥居》
森に囲われてなんだが別の世界へ入っていけそうな雰囲気ですよね。

新屋坐天照御魂神社の歴史

《由緒書き》
ここでは御祭神の火明命=饒速日命さまであると説明しています。

新屋坐天照御魂神社(大阪府)

《境内の鳥居と拝殿》

新屋坐天照御魂神社の手水

《手水舎》
蛇口式です。

新屋坐天照御魂神社の本殿

《本殿》🙏
👁チェックポイント‼️
この神社は『延喜式』神名帳には「新屋坐天照御魂神社 三座」と書かれています。しかしこちらの御祭神は天火明命さましか書かれていません。あとで調べるとこの周辺には同名の神社があと三社あり、それぞれに「新屋坐天照御魂神社 一座」と書かれた石碑があります。この神社にもありました。
どうやら三座の神さまをバラバラの場所で祀っているようです。
一間社流造でした。

新屋坐天照御魂神社の末社

《摂社・出雲神社》

新屋坐天照御魂神社の建物その他

《社務所》
別日に行くと開いており、書き置きの御朱印をいただきました。

新屋坐天照御魂神社の末社

《末社群》

新屋坐天照御魂神社(大阪府)

《彼岸花と田んぼ》
10月に再度行った時の、一の鳥居を潜った右手の風景です。見事なコントラストでした。

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歴史

新屋坐天照御魂神社は、第十代崇神天皇の御宇、天照御魂大神が現在の茨木市福井の西の丘山(日降ヶ丘)にご降臨され、同七年九月、物部氏の祖である伊香色雄命を勅使として丘山の榊に木綿を掛け、しめ縄を引いて奉斎したのが創祀とされ、実に二千百年の歴史を有しており、摂津国屈指の歴史と社格を誇る神社であります。
 第十四代仲哀天皇の御宇、神功皇后には三韓を征せられるに当たり新屋の川原にて禊の祓と戦勝祈願をされ、凱旋の後、天照御魂大神の荒魂、幸魂を西の川上と東の川下の辺りに斎祀らせました。(上河原社・西河原社)
 貞観元年(859)には従四位下、天慶三年(940)には正四位上の神位を授かり更に、延喜年中には延喜式内名神大社として四時祭・相嘗祭・臨時祭など数々の国家の重要祭事に預かりました。
 また、当社は創建時より朝廷の結びつき殊の外つよく第二十六代継体天皇の御宇に初めて奉幣使が遣わされて以来、第九十代亀山天皇の御宇まで実に二百十九回の奉幣使が遣わされるなど、神祇官直支配の案上の官幣大社として永く国家平安、五穀豊穣を祈願してきました。
 この間、皇極三年(644)には中臣鎌子連(後の藤原鎌足)が神祇伯に任じられ、奉幣使として当社に参詣されるなど、平安時代までは朝野の篤い崇敬がよせられ、社頭は大いなる隆盛を誇りましたが鎌倉時代に至り、嶋下郡の総社と定められるも武家による諸規則の制定・強化、神領没収など社頭の衰微が始まり、室町時代末期の大永七年二月(1527)、細川家の内紛(大永の乱)により兵火に遭うところとなりご神殿、神宝、神器悉く灰燼に帰しました。
 そして、天正十二年(1584)、中川清秀公が社殿を再建し、現在の基礎が構築されました。清秀公は当社の氏子中河原の人であり後、その功によって、茨木城主になったと言われています。
 その後、明治五年郷社に列せられ、御本殿の外、摂社として出雲社、須賀社の二社と六社神社などの末社が境内に祀られています。[HPより引用]

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新屋坐天照御魂神社の基本情報

住所大阪府茨木市西福井3丁目36−1
行き方

「JR茨木市駅」下車→阪急バス「JR茨木市駅」→「福井宮の前」下車後、徒歩5分

アクセスを詳しく見る

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名称新屋坐天照御魂神社
読み方にいやにますあまてるみたまじんじゃ
通称新屋神社
参拝時間

社務所:09:00〜17:00

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号072-643-0139
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://niiyajinja.jp/

詳細情報

ご祭神《主祭神》
天照御魂大神(天照国照彦天火明大神/饒速日大神)
《相殿神》
天照皇御魂大神
天饒石国饒石天津彦火瓊々杵大神
 
創建時代崇神天皇の御代
創始者伊香色雄命
本殿一間社流造
ご由緒

新屋坐天照御魂神社は、第十代崇神天皇の御宇、天照御魂大神が現在の茨木市福井の西の丘山(日降ヶ丘)にご降臨され、同七年九月、物部氏の祖である伊香色雄命を勅使として丘山の榊に木綿を掛け、しめ縄を引いて奉斎したのが創祀とされ、実に二千百年の歴史を有しており、摂津国屈指の歴史と社格を誇る神社であります。
 第十四代仲哀天皇の御宇、神功皇后には三韓を征せられるに当たり新屋の川原にて禊の祓と戦勝祈願をされ、凱旋の後、天照御魂大神の荒魂、幸魂を西の川上と東の川下の辺りに斎祀らせました。(上河原社・西河原社)
 貞観元年(859)には従四位下、天慶三年(940)には正四位上の神位を授かり更に、延喜年中には延喜式内名神大社として四時祭・相嘗祭・臨時祭など数々の国家の重要祭事に預かりました。
 また、当社は創建時より朝廷の結びつき殊の外つよく第二十六代継体天皇の御宇に初めて奉幣使が遣わされて以来、第九十代亀山天皇の御宇まで実に二百十九回の奉幣使が遣わされるなど、神祇官直支配の案上の官幣大社として永く国家平安、五穀豊穣を祈願してきました。
 この間、皇極三年(644)には中臣鎌子連(後の藤原鎌足)が神祇伯に任じられ、奉幣使として当社に参詣されるなど、平安時代までは朝野の篤い崇敬がよせられ、社頭は大いなる隆盛を誇りましたが鎌倉時代に至り、嶋下郡の総社と定められるも武家による諸規則の制定・強化、神領没収など社頭の衰微が始まり、室町時代末期の大永七年二月(1527)、細川家の内紛(大永の乱)により兵火に遭うところとなりご神殿、神宝、神器悉く灰燼に帰しました。
 そして、天正十二年(1584)、中川清秀公が社殿を再建し、現在の基礎が構築されました。清秀公は当社の氏子中河原の人であり後、その功によって、茨木城主になったと言われています。
 その後、明治五年郷社に列せられ、御本殿の外、摂社として出雲社、須賀社の二社と六社神社などの末社が境内に祀られています。[HPより引用]

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