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soo_cyan
soo_cyan
2025年10月02日(木) 23時31分38秒
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瓜破天神社近くに戻り、小松神社へ。こちらも一度瓜破天神社に合祀されてから昭和に分霊された神社。由緒に「湯浅七郎兵衛宗光という人が住んでいた。この宗光が安元の戦いの際、平重盛に危い命を助けられたことがあった。その後、平重盛は紀州の熊野浦に入水してこの世を去った。このことを知った宗光は報恩のため自己所有の土地を寄進し、社殿を建て、その霊を祀り小松大明神と名付けられた。」とある。まず安元の戦いが???なのだが鹿ケ谷の陰謀のことであろうか?湯浅氏は平清盛・重盛とも昵懇であり、また平家物語には倶利伽羅峠の戦いで大敗後戦線を離脱し出家して熊野へ落ち延びようとする維盛一行に宗光が遭遇し見過ごす場面がありますが、維盛は宗光を知らないような描写であるので、安元の戦いに関係なく単に恩義のある小松大臣(平重盛)の嫡男が非業の死を遂げたことを憐れんで祀ったのか、それとも供養のために重盛や維盛ら小松一族を祀ったのかは定かではないですね。ただ由緒に重盛と維盛が混同されていることから親子とも祀られていても不思議ではない気がします。むしろ由緒からするとそうあってほしいですね😅

小松神社(大阪府)

鳥居

小松神社(大阪府)

小松神社(大阪府)

小松神社(大阪府)

由緒

小松神社(大阪府)

扁額

小松神社(大阪府)

瓜破三宝荒神社

小松神社(大阪府)

同石標

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歴史

「瓜破の古書「船戸録」によると、この地に源氏の武士権守宗重の一子で湯浅七郎兵衛宗光という人が住んでいた。この宗光が安元の戦い(鹿が谷の陰謀?)の際、平重盛(維盛か?)に危い命を助けられたことがあった。その後、平重盛(維盛の誤記)は紀州の熊野浦に入水してこの世を去った。
このことを知った宗光は報恩のため自己所有の土地を寄進し、社殿を建て、その霊を祀り小松大明神と名付けられた。その後、小松大明神は本郷の氏神さまとして郷民たちの信仰を集めるようになった。
元来、この神社は当地の南西方向に位置していたが鉄道敷にかかったため天神社に合祀されていたものを、南之町の有志によりこの地に社を昭和22年に建立し、祀ることにされた。

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名称

小松神社

読み方

こまつじんじゃ

詳細情報

ご祭神平維盛公
創建時代

天和年間(1681〜1683)

ご由緒

「瓜破の古書「船戸録」によると、この地に源氏の武士権守宗重の一子で湯浅七郎兵衛宗光という人が住んでいた。この宗光が安元の戦い(鹿が谷の陰謀?)の際、平重盛(維盛か?)に危い命を助けられたことがあった。その後、平重盛(維盛の誤記)は紀州の熊野浦に入水してこの世を去った。
このことを知った宗光は報恩のため自己所有の土地を寄進し、社殿を建て、その霊を祀り小松大明神と名付けられた。その後、小松大明神は本郷の氏神さまとして郷民たちの信仰を集めるようになった。
元来、この神社は当地の南西方向に位置していたが鉄道敷にかかったため天神社に合祀されていたものを、南之町の有志によりこの地に社を昭和22年に建立し、祀ることにされた。

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