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心眼寺坂を下った先にあるのが、このどんどろ大師。かつての真田丸砦の、北側の谷があったあたりかな。伽藍の上は明星高校のグラウンドである。ここは砦消滅後に「鏡如庵大師堂」が置かれ、大坂の陣戦死者を祀ってきた。廃仏毀釈後に寺運が傾き、廃寺になっている。昭和になって豊能町から現在の善福寺が移転し大師堂を継承していて、豊臣家の五七の桐が染め抜かれた幕前に弘法大師像が鎮座している。ちなみにその隣の勝軍地蔵尊は、日露戦争時の戦病死者記念仏として作られたものであることに注意が必要。
昭和の大阪大空襲で焼ける前は、陣の戦死者を悼む額が本堂にあったそうだが、現在はもうない。
以上の経緯のためかあまり取り上げられないが、ここも真田信繁ゆかりの地のひとつ。また、人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」の舞台の一つで、登場人物であるおつるとおゆみの像も門前にある。





実家近所なので行ってみました。
子供の頃から「土井様のお大師様」という事で「どんどろ大師」と呼ばれていると聞いていただけで、詳しくは知らなかったんですよね。
「どいさまのおだいし」がどうして「どんどろだいし」になるかと言いますとね、大阪人は気が短いので「ちゃっちゃと」呼ばなきゃ「かったるい」のですよ(苦笑)
出来るだけ短く略して話す(笑)ので、「どんどろ」と言いやすく変換しちゃうんです(笑)
例えば?人形の卸店舗の連なる「松屋町」これも「まっちゃまち」と発音するのが普通なんですよ(笑)
なるほど、戦火で焼失してから能勢のお寺さんと一緒にして今に至っているんですね。
歌舞伎・浄瑠璃の舞台に出てくるのだという事は最近知りました。
兄が自慢げに「知ってるか?」と言い出したのが始まり(苦笑)
心の中で「だから、何?」とか思ってましたけど(笑)
寺院前の銅像も建ったのは最近の様です。以前はありませんでした。
ところで話は変わりますが、戦火で焼失する前の鏡如庵大師堂には確かにあったそうです。
wikiさんによると
「大坂夏の陣の戦死者」を供養するために、「大坂夏の陣の戦死者」を悼む文章と和歌が記された額が掲げられていた。その額文は「摂津名所図会大成」巻3に拠れば、「當庵の地にハ(は) いにしへ 元和の仲夏 兵革闘諍の地たりしも 今は佛乘の場となり 菩提結緣の雨に潤ふ事 いと有難くぞ おもふ 曇りなき法の鏡にかけ見へて こゝろの塵をはらすゝしさ 玉造住 和氣隅 謹詠」
これも戦火の塵となったわけですね。
もう一度掲げればいいのにね~。
能勢のお寺さん「善福寺」は廃仏毀釈によって寺いじめの的になったお寺さんでした。天皇家に献上していた能勢名物、「御玄猪餅」を明治政府が禁止したんですって。
これまたwikiさんによると、
「それに伴い、御加持役を廃された。また、田地などの返納を命じられて、経済基盤の多くを失った。
明治時代に入ると、寺運は急速に傾いていった。」のだそうです。
明治42年(1909年)に大阪市天王寺区空堀町へ移転することになったそうです。
そっから数えての100年、2009年に記念として門前の銅像が建てられたようですね。
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