さむはらじんじゃ
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楽しみ方サムハラ神社のお参りの記録一覧
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4月中には行こう👣と決めていたサムハラ神社⛩️でしたが、4/30(勤務明け)に滑り込み、ギリ参拝出来ました^ ^ 毎回雨の中の参拝です☔
今日はサムハラ神社⛩️の摂社(本殿裏に位置)する
"天之参剣神社⛩️(アメノミツルギ神社)令和7建立の
話しを少し・・・
祭神)天之参剣大神、北辰サムハラ矛大神、
布都御魂大神、建速須佐男大神、日本武尊
鍾馗御霊大神、天満大自在天神
神徳) 天皇陛下御守護、国家安泰、世界平和
由緒⚔️) 造化三神の神剣🗡️からなる御神徳を持ち
昭和天皇を守護し、国家安泰、世界平和を
日々三万三千回霊剣🗡️を振り祈願した剣聖が
居られました。その聖人を参剣大神と申しま
す
【悪しきものを祓い、良きものを産む大神】

大阪最強パワースポットと言われている神社。指輪のお守りはまだ再開していません。
所在地
大阪府大阪市西区立売堀2丁目5-26
主祭神
天御中主大神
高産巣日大神
神産巣日大神
創建
1950年(昭和25年)
例祭
月次祭(毎月23日)
春秋大祭(4月・10月 22・23日)
祭神は天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の造化三神。「サムハラ」はこれら三神の総称であるとしている。奥の院が美作加茂(岡山県津山市)にある。
1935年(昭和10年)に田中富三郎が出身地の岡山県苫田郡西加茂村(現・津山市)にて旧い小さなほこらの荒廃を嘆き再興したのが本社の起源。しかし翌年岡山県特高課から無許可神社で商品広告しているとして自主撤去を求められ、サムハラ信光会は11月27日に解消し、撤去を行った。
戦後1946年(昭和21年)にほこらは再建され、当神社は大阪中之島の豊国神社隣接地に自費で1950年(昭和25年)に建立。1961年(昭和36年)に現在地へ移築遷宮された。
隣接地に大阪府警察の機動警ら隊がある。
サムハラ神社を建立した田中 富三郎(たなか とみさぶろう)は、1868年(明治元年)3月3日に美作加茂で生まれる。万年筆業界の先駆者で「田中大元堂」を経営し、加茂西小学校に図書館を建設、奨学資金を贈るなど児童育成に貢献し紺綬褒章を授与される。
サムハラ大神をあつく信仰していたため日清戦争と日露戦争で数々の危難をまぬがれたという。サムハラの霊徳を世の人々に分かつため私財でサムハラ神社を建立したとされる。神前扉材は伊勢神宮より賜った。戦時中に兵士にお守りを贈る活動をしていたが、戦後も小判の形のお守りを自費で作成し無料で人々に配布していた。多くの要人にも贈呈をした。90歳までは自転車を乗り回すことも平易だった。97歳の時でも壮健であり自らを青年と称した。
「信仰は万益有って一害なし」と常に提唱し、毎朝の参拝を欠かしたことはなかった。田中は1967年(昭和42年)12月3日逝去。享年100。サムハラ神社境内に胸像がある。宮司は養子が継いだ。
祭礼
元旦祭(1月1日)
歳旦祭(1月3日)
節分祭(2月2日・3日・4日)
春季大祭(4月22日・23日)
秋季大祭(10月22日・23日)
大祓式(6月30日・12月31日)
月初祭(毎月1日)
月次祭(毎月23日)
諸願の祈祷は随時。
当社では、造化の三神である天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三柱の神を総称してサムハラの大神と呼称し、無傷無病、延命長寿の神であると伝えている。
サムハラとは不思議の4文字で、身を守ると言われている。
これは漢字のような文字であるが、神字であり漢字とは異なる、とされる。
活字変換は不可収録された文字は全てCJK統合漢字拡張Cに収録されている。
東大寺(印西東大寺)(千葉県印西市)、雷山千如寺大悲王院(清賀上人により十転化の功徳があるという)など各地の寺社のお守りの呪文に使用されている。
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大阪市西区に鎮座する神社で、強力な厄除け・災難除けのご利益で知られています。
正式には「サムハラ大神」を祀り、その名は漢字では表記が難しい神秘的な言葉とされ、古来より強い霊力を持つと信じられてきました。
創建は比較的新しく、昭和初期に田中富三郎によって現在の地に祀られましたが、ルーツは岡山県の山中にあった奥の院に遡るとされています。
戦時中には、この神社のお守りを持っていた人が戦火を免れたという逸話もあり、「身を守る神」として信仰が広まりました。
特に有名なのが「御神環(指輪型のお守り)」で、強い守護の力を持つとされ、3年待ちなど入手困難なことでも知られています。
小さな境内ながら全国から参拝者が訪れ、静かながらも独特の緊張感と神聖さが漂う場所です。都会の中にありながら、深い信仰と神秘性を感じられる神社として人気を集めています。



天之御中主大神、高皇産霊大神(高御産巣日大神)、神皇産霊大神(神産巣日大神)をお祀りし、 古来より災難消除、身体健固の護符として伝わる文字であり、江戸期には矢玉避けの護符や怪我をせぬ呪(まじな)いの札として、近代には従軍兵士の弾除け守、また千人針などに縫い表して武運長久を願うなど字を書き、符を身に帯びる人を守護する符字として全国に伝わるものです。 現在の岡山県津山市加茂町・日詰山に伝承された古祠の由緒を継承して、「と(サムハラ)」字を万象を生出する造化三神の創造・生命力の御神徳を戴くものと伝えまして、厄事災難除、無傷安全、無病息災、延命長寿など、命を生(む)す願いを守護してくださる「大神」としてお祀りしております。 美作国東北条郡中原村(現・津山市加茂町中原)日詰山山中の城郭址に古祠在り、 『(サムハラ)』を伝えると謂れあるも年紀不詳、恐らくは中世の日詰城の域内に斯様の守護祠の在ったものかと推測される。 歳月の中に古祠荒廃し、付近の住人の細々たる尊崇のみのうちに継がれる。同地出生の当神社初代主管者・田中富三郎翁の、往時により災難除・身体健固の加護に与りて日清・日露の戦役に助かり、常陸丸、鉄嶺丸に難を逃れ、しばしばの危難を避けて無事なるは奉持した 「(サムハラ)」の護符の御陰と畏んで、昭和9年に奉賛会たる信光会を催し、昭和10年に荒廃の古祠を再建する。第2次大戦に至り、大阪師団司令部を通じて出征兵士に御守を贈呈、武運長久を願う。戦後昭和21年改めて中原・日詰山山中に社殿再建。 次で昭和25年、当時の大阪市要人達の賛同を得て大阪中之島豊国神社(当時)の摂社として岡山より分霊、中原の社殿は元宮・奥宮と称する。 昭和36年、大阪市役所増築により豊国神社大阪城内に奉遷、当神社も西区立売堀に移築遷座する。平成17年、台風の為毀たれた岡山奥宮を、加茂金刀比羅神社、地元各人の協力を得て加茂町中原900-3の現在地に遷座する。
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所在地:大阪市西区立売堀2丁目5-26
主祭神:天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神
社 格:
創 建:
由 緒
古来より災難消除、身体健固の護符として伝わる文字であり、江戸期には矢玉避けの護符や怪我をせぬ呪(まじな)いの札として、近代には従軍兵士の弾除け守、また千人針などに縫い表して武運長久を願うなど字を書き、符を身に帯びる人を守護する符字として全国に伝わるものです。 当神社は、現在の岡山県津山市加茂町・日詰山に伝承された古祠の由緒を継承して、「𢲡抬𢲡撸神社(サムハラ)」字を万象を生出する造化三神の創造・生命力の御神徳を戴くものと伝えまして、厄事災難除、無傷安全、無病息災、延命長寿など、命を生(む)す願いを守護してくださる「𢲡抬𢲡撸大神」としてお祀りしております。(HPより)

念願の𪮷抬𪮷𪮇神社へあがらせていただきました。
大阪、いや日本でも最も有名なパワースポットの一つとして、いつかは参拝したいとずっと思っていた神社になります。
いつでも行けそうだけど、なかなかタイミングが合わなかったりだったのですが・・・
この日は何年振りかに車で大阪を訪れたのですが、目的地は残念ながら𪮷抬𪮷𪮇神社ではなく別のところへ。
ところがこの日大阪国際マラソンが開催されていることがあり、どうしてもその目的地へたどり着くことができず、さらに大渋滞に巻き込まれ時間だけがむなしく過ぎていくことに。
これはさすがに諦めるしかないかな?と思って引き返そうとしたときに、頭の中に「サムハラ」と浮かび上がってきたのです!
すぐにカーナビでサムハラ神社を目的地にセットし向かい始めると、さきほどまでの渋滞が嘘だったかの
ように順調に進み始めました。
呼んでいただけたことに大感激だったのですが、帰宅後に考えてみると、今年1月2日に鹿児島の天之御中主神社にあがらせていただいたことも関係しているのかな?とふと思ってしまいました。
𪮷抬𪮷𪮇神社の御祭神の三柱のうちの一柱が天之御中主大神なので。
境内は思っていたよりも小さかったのですが、常に数名の参拝者がいらっしゃり、熱心に参拝されている姿が印象的でした。
今回は御朱印を拝受したのみで、御守や神符はいただかなかったのですが、それは最初から𪮷抬𪮷𪮇神社に参拝することを目的としていなかったため。
次回は最初から、それも朝のうちに𪮷抬𪮷𪮇神社にあがらせていただき、御守をいただきたいと思います。
そしていつかは、岡山にある𪮷抬𪮷𪮇神社奥之宮に呼んでいただけたらと思っております。
その日がいつになるか楽しみです。
<御祭神>
天之御中主大神
高皇産霊大神
神皇産霊大神
<沿革>~サムハラ神社HPより~
美作国東北条郡中原村(現・津山市加茂町中原)日詰山山中の城郭址に古祠在り、 『𪮷抬𪮷𪮇(サムハラ)』を伝えると謂れあるも年紀不詳、恐らくは中世の日詰城の域内に斯様の守護祠の在ったものかと推測される。 歳月の中に古祠荒廃し、付近の住人の細々たる尊崇のみのうちに継がれる。同地出生の当神社初代主管者・田中富三郎翁の、往時により災難除・身体健固の加護に与りて日清・日露の戦役に助かり、常陸丸、鉄嶺丸に難を逃れ、しばしばの危難を避けて無事なるは奉持した
「𪮷抬𪮷𪮇(サムハラ)」の護符の御陰と畏んで、昭和9年に奉賛会たる信光会を催し、昭和10年に荒廃の古祠を再建する。第2次大戦に至り、大阪師団司令部を通じて出征兵士に御守を贈呈、武運長久を願う。戦後昭和21年改めて中原・日詰山山中に社殿再建。 次で昭和25年、当時の大阪市要人達の賛同を得て大阪中之島豊国神社(当時)の摂社として岡山より分霊、中原の社殿は元宮・奥宮と称する。 昭和36年、大阪市役所増築により豊国神社大阪城内に奉遷、当神社も西区立売堀に移築遷座する。平成17年、台風の為毀たれた岡山奥宮を、加茂金刀比羅神社、地元各人の協力を得て加茂町中原900-3の現在地に遷座する。

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