ひぶせ とうきじんじゃ
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楽しみ方火防 陶器神社(坐摩神社末社)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年03月17日(火) 22時37分51秒
参拝:2026年2月吉日
摂津国一之宮である坐摩神社の末社となります。
もともとは西区靭南通1丁目に祀られていたそうですが、明治40年に市内電車敷設のためにこちらに移転合祀されたとのことです。
拝殿横には陶器製の灯籠がありました。
<御祭神>
大陶祇神
迦具突智神
<御由緒>
嘉永の頃愛岩山将軍地蔵を祀ると伝えられ火防の神として崇敬厚く特に陶器商人は守護神と仰ぎ七月二十三日の大祭には陶器造り人形を各戸競って作り奉納し、地蔵会と共に盛んでした。
当初は靭南通一丁目に鎮座ましましたが明治四十年市内電車敷設のため坐摩神社に移転合祀されました。
祭禮には瓢の水を次て火を防ぐとの故事により陶製瓢と火の要鎮のお札を笹に結び付け参拝者に授ふし亦陶磁器の端物を贈呈したのが祭の起源とされ、北は筋違橋から南は四ツ橋迄の両側二百数十店が軒を並べていたものです。
その後昭和二十年戦災に遭い二十六年六月西横堀浜筋に再建せともの祭と共に復興いたしました。
然し四十六年阪神高速道路敷設により再度立退きのやむなきとなりここに崇敬者の浄財と各地陶芸作家諸先生の賛助により陶器神社の名にふさわしく陶器の宮として当所に御造営の上同年十一月遷宮鎮座し奉りました。
もともとは西区靭南通1丁目に祀られていたそうですが、明治40年に市内電車敷設のためにこちらに移転合祀されたとのことです。
拝殿横には陶器製の灯籠がありました。
<御祭神>
大陶祇神
迦具突智神
<御由緒>
嘉永の頃愛岩山将軍地蔵を祀ると伝えられ火防の神として崇敬厚く特に陶器商人は守護神と仰ぎ七月二十三日の大祭には陶器造り人形を各戸競って作り奉納し、地蔵会と共に盛んでした。
当初は靭南通一丁目に鎮座ましましたが明治四十年市内電車敷設のため坐摩神社に移転合祀されました。
祭禮には瓢の水を次て火を防ぐとの故事により陶製瓢と火の要鎮のお札を笹に結び付け参拝者に授ふし亦陶磁器の端物を贈呈したのが祭の起源とされ、北は筋違橋から南は四ツ橋迄の両側二百数十店が軒を並べていたものです。
その後昭和二十年戦災に遭い二十六年六月西横堀浜筋に再建せともの祭と共に復興いたしました。
然し四十六年阪神高速道路敷設により再度立退きのやむなきとなりここに崇敬者の浄財と各地陶芸作家諸先生の賛助により陶器神社の名にふさわしく陶器の宮として当所に御造営の上同年十一月遷宮鎮座し奉りました。
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