つゆのてんじんじゃ(おはつてんじん)
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
露天神社(お初天神)ではいただけません
広告
露天神社(お初天神)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年10月26日(水)
参拝:2022年10月吉日
JR大阪駅から南東へ約500mほどのところ。
周辺にはビルや繁華街がありますが、違和感もなく自然と溶け込んでいます。
この日は午後からの会議に出るため久しぶりの大阪へ。
朝9時に露天神社に到着しましたが、早くもカップルの姿がちらほら。
さすが「恋人の聖地」と言われるだけはありますね。
創建年は不詳ですが、700年頃という説もあります。
「難波八十島祭」の旧跡の一社とされています。
<ご祭神>
大己貴大神
少彦名大神
天照皇大神
豊受姫大神
菅原道真
社名の由来は、昌泰4年(901年)、菅原道真公が筑紫へ左遷配流される途中、こちらに参詣された際、「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」と詠まれたことから「露天神社」と称するようになったという説があるそうです。
また元禄16年(1703年)、実際に境内で起きた心中事件を題材とした「曽根崎心中」のお初にちなんで「お初天神」と親しまれるようになりました。
周辺にはビルや繁華街がありますが、違和感もなく自然と溶け込んでいます。
この日は午後からの会議に出るため久しぶりの大阪へ。
朝9時に露天神社に到着しましたが、早くもカップルの姿がちらほら。
さすが「恋人の聖地」と言われるだけはありますね。
創建年は不詳ですが、700年頃という説もあります。
「難波八十島祭」の旧跡の一社とされています。
<ご祭神>
大己貴大神
少彦名大神
天照皇大神
豊受姫大神
菅原道真
社名の由来は、昌泰4年(901年)、菅原道真公が筑紫へ左遷配流される途中、こちらに参詣された際、「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」と詠まれたことから「露天神社」と称するようになったという説があるそうです。
また元禄16年(1703年)、実際に境内で起きた心中事件を題材とした「曽根崎心中」のお初にちなんで「お初天神」と親しまれるようになりました。
書き置き御朱印
境内南側の正門
こちらは西側にある西門
本社拝殿
美人祈願絵馬
自分で顔を書き入れるんですが、皆さんとてもクオリティが高い!
自分で顔を書き入れるんですが、皆さんとてもクオリティが高い!
水天宮・金刀比羅宮
水天宮:安産・子育て
金刀比羅宮:交通安全
水天宮:安産・子育て
金刀比羅宮:交通安全
北門
このまわりはビルが立ち並び、飲み屋さんやら飲食店で賑わっています。
大阪駅から歩いてくるとこの北門か西門から入る方がほとんどでしょうね。
このビルの間を抜けると拝殿があるとは思えません。
このまわりはビルが立ち並び、飲み屋さんやら飲食店で賑わっています。
大阪駅から歩いてくるとこの北門か西門から入る方がほとんどでしょうね。
このビルの間を抜けると拝殿があるとは思えません。
北門から境内へ入ったところ。
難波(夕日)神明社
「大坂三神明」と呼ばれる「朝日神明社」「日中神明社」「夕日神明社」のうちの夕日神明社になります。
もともとここから230mほど東の位置に鎮座しており、源義経も参拝する大きな神社だったようですが、天保5年、明治42年の火災に遭い、明治43年に露天神社に合祀されたそうです。
この神明社旧跡はまた後程投稿します。
「大坂三神明」と呼ばれる「朝日神明社」「日中神明社」「夕日神明社」のうちの夕日神明社になります。
もともとここから230mほど東の位置に鎮座しており、源義経も参拝する大きな神社だったようですが、天保5年、明治42年の火災に遭い、明治43年に露天神社に合祀されたそうです。
この神明社旧跡はまた後程投稿します。
曽根崎道祖神
開運稲荷社 鳥居
明治42年の「北の大火」で被災した4つの稲荷社「玉津大神」「天信大神」「融通大神」「磯嶋大神」がこちらに合祀されています。
御神徳は、商売繁盛・五穀豊穣・皮膚病治癒
御神徳は、商売繁盛・五穀豊穣・皮膚病治癒
絵馬の種類も豊富です
曽根崎心中 お初と徳兵衛のブロンズ像
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。