ぜんこうじ|融通念仏宗
善光寺大阪府 信貴山口駅
5:00〜17:00(冬季6:00〜18:00)
(河内西国観音13番札所)
山沿いの入り組んだ住宅地にあります。
こちらは長野県の善光寺の元とのこと。
第33代推古天皇の御代に、信濃国の住人本田善光(信州善光寺開基)が都へ上がり、大和国豊浦の里、難波の堀江に於いて一光三尊の阿弥陀如来(善光寺如来)を感得しました。これを背に負い信濃へ帰る途中、信貴山を超えてこちらに立寄り逗留しました。その際、近隣の人々が集まり来たって如来と共におこもりをしましたが、翌朝不思議なことに如来のお姿は2体にお分かれになっていました。善光は当地にこの御分身如来を安置することにしました。俗称「元善光寺」といいます。
この堀江の地が和光寺だと。
https://hotokami.jp/area/osaka/Hmatm/Hmatkts/Dastp/6327/143952/
近頃、こんな感じで土地と土地、寺社と寺社がつながって、感動というか発見というか。
境内の大楠は遠くからも見えました。
御朱印 河内西国観音13番
御朱印 ご本尊
山門
垣内地蔵尊石標
垣内地蔵尊堂
大楠
大楠見上げて
本堂
慈悲地蔵尊像
本田善光の像
由緒
河内西国霊場第13番札所の融通念仏宗寺院。ご本尊は弥陀三尊仏です。
「元善光寺」と呼ばれ、大化の改新が行われた645年に本田善光が難波の堀江において、仏像を感得し、信濃へ帰る途中でここに一泊して、その後草庵を建てたと伝えられています。
緑深き静かな寺院で時折読経が本堂から聞こえてきました。
少し暑さも忘れて気持ちも引き締まりました。
御朱印は庫裏の前に書き置きが2種ありました。
東高野街道の通りから一歩中に入ります。
本堂です。
おびんずる様。
大クスの木。高さは25メートルにもなります。この日は残暑で炎天下歩きづめで、しばしクールダウンです。
第33代推古天皇の御代に、信濃国の住人本田善光(信州善光寺開基)が都へ上がり、大和国豊浦の里、難波の堀江に於いて一光三尊の阿弥陀如来(善光寺如来)を感得しました。之を背に負い信濃へ帰る途中、信貴山を超えて当地に立寄り逗留しました。その際、近隣の人々が集まり来たって如来と共におこもりをしましたが、翌朝不思議なことに如来のお姿は2体にお分かれになっていました。善光は当地にこの御分身如来を安置することにしました。これが当寺の濫觴です。当地では俗称「元善光寺」といいます。
名称 | 善光寺 |
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読み方 | ぜんこうじ |
通称 | 元善光寺 |
参拝時間 | 5:00〜17:00(冬季6:00〜18:00) |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 072-941-0550 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
河内西国霊場 第13番 | 御本尊:善光寺如来 御詠歌: 埋もれし 浪速の池の 弥陀如来 背なに負います 本田善光 |
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ご本尊 | 一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来) |
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宗旨・宗派 | 融通念仏宗 |
ご由緒 | 第33代推古天皇の御代に、信濃国の住人本田善光(信州善光寺開基)が都へ上がり、大和国豊浦の里、難波の堀江に於いて一光三尊の阿弥陀如来(善光寺如来)を感得しました。之を背に負い信濃へ帰る途中、信貴山を超えて当地に立寄り逗留しました。その際、近隣の人々が集まり来たって如来と共におこもりをしましたが、翌朝不思議なことに如来のお姿は2体にお分かれになっていました。善光は当地にこの御分身如来を安置することにしました。これが当寺の濫觴です。当地では俗称「元善光寺」といいます。 |
体験 | 札所・七福神巡り |
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