だいもんじぞう
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称念寺の横にあるのですが、お寺の犬に吠えられながらの撮影(笑)
ここのお地蔵様には首が無いそうな。
のぞき込んでみたら確かになさそう・・・。
龍華寺の大門横にあった地蔵様なのでこう呼ばれているらしいです。
八尾において地名にもなっている今は無き奈良時代に創建された「龍華寺(りゅうげじ)」と言うお寺は大いに意味のあるお寺だったそうで、この場所を別名「橘島」と言われていたそうです。古大和川と平野川に挟まれた地だったので「島」です。
「橘」の語源が「龍華」を「立花」と書いて「橘」になった事からそう呼ばれているのだそうです。(もう一説では754年(天平勝宝6年)に、風雨が治まるように大和川へ櫛笥と橘を流したところ、橘が当地で止まったことによるものと言うのもあるそうです)交通の要所にもなっており大いに栄えたようですが、現在は小学校になっているようです。
橘は聖徳太子の家紋と言われています。
で、このお地蔵様もそこにあったんですが、誰が移動したのか現在はこちらに鎮座。
この日もご近所なのか、普段着のおじいさんが恭しくお参りに来ていらっしゃいました。
歴史
もとは旧大和川いまの長瀬川右岸にあった龍華寺の大門に建てられていたが、いつの頃かこの地に移されたものと伝えられる。尊像の材質は花崗岩で、仏頭は欠けている。現存高一二六センチメートル鎌倉時代の優品である。龍華寺には、神護景雲三年(七六九)十月称徳天皇が参詣され塩、綿の施入があった。現在の安中小学校の西南に大門の唐居敷という礎石があったがいまはない。
名称 | 大門地蔵 |
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読み方 | だいもんじぞう |
詳細情報
宗旨・宗派 | |
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ご由緒 | もとは旧大和川いまの長瀬川右岸にあった龍華寺の大門に建てられていたが、いつの頃かこの地に移されたものと伝えられる。尊像の材質は花崗岩で、仏頭は欠けている。現存高一二六センチメートル鎌倉時代の優品である。龍華寺には、神護景雲三年(七六九)十月称徳天皇が参詣され塩、綿の施入があった。現在の安中小学校の西南に大門の唐居敷という礎石があったがいまはない。 |
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