さむはらじんじゃ おくのみや
サムハラ神社 奥の宮岡山県 美作加茂駅
24時間参拝可能
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楽しみ方
サムハラ神社に参拝させていただきました。
御祭神 天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神
ご由緒 1935年に田中富三郎氏が荒れた古い祠を再興したことが始まりとのこと。
「サムハラ」の意味 チベットのサンスクリット語(梵語)にある「シャンバラ」ではないかとのこと。
厄除け、身体堅固の護符として伝わる文字で、江戸時代には怪我をしないま
じないの札、のちには兵士の弾除けのお守りなど「符」を身に着ける人を守護す
る符字とのこと。
お参りの仕方 お賽銭 111円、拝礼は6礼、8拍手、6礼
結界
結界

金刀比羅神社様まで戻りサムハラ神社様の奥の宮は?と思っていると駐車場から登る途中の分岐を金刀比羅神社様と逆に向かえば鎮座されていました。
御祭神は
天之御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)
高皇産霊大神(タカムスビノオオカミ)
神皇産霊大神(カミムスビノオオカミ)
あらゆるものを生み出した「造化三神」をお祀りされています。
津山市出身の田中富三郎は日露戦争で危機を逃れ、深く信仰しているサムハラ神社様の御加護であると考えました。世にその存在を知らしめたいと考えた富三郎は大阪にサムハラ神社の分霊をお祀りしました。
これが現在の大阪市西区立売堀(イタチボリ)のサムハラ神社様です。
平日の早朝、雪が舞う中ということもあって誰一人会うこともなく静かに神聖な空気を感じながらお詣りすることが出来ました。
美作国東北條郡中原村(現津山市加茂町中原)日詰山山中の城郭址に古祠在り、「サムハラ」を伝える謂われあるも年紀不詳、恐らくは中世の日詰城の場内に守護祠の在ったものかと推測される。歳月の中に古祠荒廃し、付近の住人の細々たる尊栄のみのうちに継がれる。
同地出生の当神社初代主管者、田中富三郎翁の往時により災難除・身体健固の加護に与りて日清・日露の戦役に助かり、常陸丸、鉄嶺丸に難を逃れ、しばしばの危難を避けて無事なるは、奉持したサムハラの護符の御蔭と畏んで、昭和九年に奉賛会たる信光会を催し、昭和十年に荒廃の古祠を再建する。大東亜戦争に至り、大阪師団司令部を通じて出征兵士に御守りを贈呈、武運長久を願う。
戦後昭和二十一年、改めて中原・日詰城山中に社殿再建。次で昭和二十五年、当時の大阪市要人達の賛同を得て大阪中之島豊国神社(当時)の境内に岡山より分霊、中原の社殿は元宮・奥の宮と称する。
昭和三十六年・大阪市役所増築により豊国神社大坂城内に奉遷、当神社も西区立売堀に移築遷座する。
平成十七年、台風の為毀たれた岡山奥の宮を、加茂金刀比羅神社、地元有志の協力を得て加茂町中原900-3の現在地に遷座する。
(※「サムハラ」の字が文字化けしてしまう為カタカナで表記しています)
| 名称 | サムハラ神社 奥の宮 |
|---|---|
| 読み方 | さむはらじんじゃ おくのみや |
| 参拝時間 | 24時間参拝可能 |
| 参拝にかかる時間 | 5分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | あり(金刀比羅神社) |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | あり |
| 御朱印帳に直書き | あり 奥の院の御朱印 |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| SNS |
| ご祭神 | 天之御中主大神 高皇産霊大神 神皇産霊大神 |
|---|---|
| 創建時代 | 不詳(再建は昭和二十一年) |
| 創始者 | 不詳(再建は田中富三郎) |
| 本殿 | 一間社流造 |
| ご由緒 | 美作国東北條郡中原村(現津山市加茂町中原)日詰山山中の城郭址に古祠在り、「サムハラ」を伝える謂われあるも年紀不詳、恐らくは中世の日詰城の場内に守護祠の在ったものかと推測される。歳月の中に古祠荒廃し、付近の住人の細々たる尊栄のみのうちに継がれる。
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| 体験 | 御朱印お守り伝説 |
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