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ごりゅうそんりゅういん|修験道

五流尊瀧院のお参りの記録一覧
岡山県 木見駅

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珊瑚
珊瑚
2022年11月05日(土)223投稿

【令和四年八月二十九日】修験道総本山 五流尊瀧院参拝

今から千三百年余り昔、 文武天皇の時代、 大和の 国葛城山におられた役行者は、紀州、 熊野大峯の山々で修行を重ね、 すぐれた呪法を会得し、 山岳信仰を基に 「修験道」 という宗教を開かれました。

しかし、行者の神秘的な呪法は、 当時、 人々を惑わすものと疑われて捕えられ、 699年、 役行者は伊豆の大島に流罪の身となられました。

その時、行者の五人の高弟、義学、 義玄、 義真、 寿元、芳元は、 その難がご神体に及ぶのを避ける為に、 多くの弟子達と共に、紀州熊野権現のご神体、 霊宝を船に奉じて熊野灘を出航し、 浄域を求めて各地をさまよったということです。

その後、役行者が赦免になられた大宝元年 (701年)、霊夢により児島に上陸。

幽玄な山々を紀 州の深山になぞらえて、ここ、林の地にご神体を安置し、 新熊野三山を開きました。

そして五人の高弟は尊瀧院、 太法院など、五つ の寺院を設けましたが、これが五流の基礎となったのです。

こうして五流山伏は役行者神変大菩薩の修験道を継承伝授し、 児島の地にあっても紀州熊野大峯の入峯を統括してきました。

五流山伏は、代々熊野権現の長床を道場として修行したので、「五流長床宿老」 と呼ばれ、人々の深い信仰に支えられて、全国にその勢力を誇ってきました。

皇室の尊崇も厚く、 歴代の天皇、 上皇、 法皇の熊野行幸の先達をつとめた事から、「行幸山伏」とも呼ばれています。

時代は移り、承久三年(1221年承久の乱に敗れた 後鳥羽上皇の皇子、 冷泉宮頼仁親王はこの地に流され、尊瀧院の境内に庵を設けられました。

その弟君の桜井宮覚仁法親王も児島に下向し、 尊瀧院の住職となられ、 頼仁親王の実子、 道乗大僧正を後継とされました。

それ以来、 尊瀧院は頼仁親王の血脈を続けて今日に至っています。

〜パンフレットより〜

五流尊瀧院の御朱印

五流尊瀧院の御朱印です。

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