いそのかみふつみたまじんじゃ
石上布都魂神社岡山県 神目駅
社務所09:00〜16:00(土日は神職常駐)
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | あり |
自動販売機の御朱印、メタボ除御守などあります 延喜式内社、備前国赤坂郡6座の内の1社です、神社の御神体はスサノオノミコトが大蛇を退治した剣とされ、社殿の裏400mの山頂に本宮があり、背後に禁足地の巨石地域があります。参道をかなり歩きます、本宮にはさらに10分登ります、スニーカーは必須です、禁足地もありますので、気を付けて下さい
岡山県赤磐市石上に御鎮座する備前國一宮の石上布都魂神社に参拝に行って来ました。岡山県と広島県の一宮を巡った時に行けなかったので、今回参拝に行けて良かったです。
本宮への道は凄く険しかったですが、なんとか登り切り、本宮を参拝し磐座も見てきました。
磐座のある場所は禁足地になっています。
本宮の拝殿の後方になります。
御朱印や御守りなどは、自動販売機で販売していました。その自販機はパンやお菓子などが売っている自販機と同じでした。
良く考えたなーと思いました。
御祭神は素戔嗚命になります。
素戔嗚命が奉納した神剣は崇神天皇の時代に大和の石上神宮に移されたが、この事は石上神宮の御由緒にも記されている。
明治7年(1874年)石上神宮では古記録に基づき神剣発掘を行ったところ、真っ赤に錆びた剣が出土した。これこそ素戔嗚命が大蛇大蛇の大蛇の麁正(あらまさ)の剣であるとし、大正年間の記録によって刀工月山貞一が三振りを複製、その中の一振りがゆかりのある吉備の当社に奉納されました。
最初の鳥居
神社の由来
磐座祭縁起
駐車場前の表参道を歩いて行きます。
拝殿
拝殿右側にある祓殿
拝殿右側奥にある稲荷神社
手水社
狛犬
狛犬
本宮へ約10分くらいで着きます。
本宮の鳥居
本宮
拝殿跡
神楽殿跡
元々の本宮の図
この石撫でて、苦悩は今年も無縁
この自販機には御守りを販売してました。
この自販機は御朱印が販売されてました。御朱印帳の大判、小版、全国一宮御朱印帳の一番大きいサイズの御朱印もありました。
このように自販機が3台並んでました。
当社は『延喜式神名帳』に記載された「式内社」で、全国3132座のうちの一つである。『延喜式』とは延喜五年(905)に醍醐天皇の命により編纂されたもので、備前国出は128社の中正二位に列せられた古社である。また備前国一宮として国司が参拝を指定されていた。祭神は素盞嗚神命。
日本書紀に素戔嗚命が出雲国で八岐大蛇を退治され、大蛇の尾から草薙剣を取り出すが、その後日談として「一緒にいわく」として「その素盞嗚命の蛇を断りたまへる剣は、今吉備の神部(かんとものを)の許に在り」と記している。吉備の神部とは当社のことである。岡山藩士の大沢惟貞が完成年間に記紀をはじめ古代の文献を考証し、編纂した『吉備温故秘録』には「素盞嗚命な剣を納めた社は吉備の当社に間違いない、崇神天皇の御代に大和に移した」とされている。
四世紀から五世紀にかけて吉備は出雲も支配する勢いだった。剣は鉄の象徴であり、吉備は鉄の大産地であった。
もともと当社の御神体は大松山の頂上の巨石で、神が天下る磐座である。布都魂とは剣の霊のことである。なお当社の宮司は物部の姓である。
名称 | 石上布都魂神社 |
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読み方 | いそのかみふつみたまじんじゃ |
通称 | お神社様 |
参拝時間 | 社務所09:00〜16:00(土日は神職常駐) |
参拝にかかる時間 | 60分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 086-724-2179 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
お守り | あり |
ご祭神 | 《主》素盞嗚尊 |
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ご神体 | 大松山山頂の磐座 |
創建時代 | 不詳 |
本殿 | 流造 |
札所など | 備前国古社128社 |
ご由緒 | 当社は『延喜式神名帳』に記載された「式内社」で、全国3132座のうちの一つである。『延喜式』とは延喜五年(905)に醍醐天皇の命により編纂されたもので、備前国出は128社の中正二位に列せられた古社である。また備前国一宮として国司が参拝を指定されていた。祭神は素盞嗚神命。
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