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石門別神社ではいただけません
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いわとわけじんじゃ

石門別神社
岡山県 大元駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

境内に止めることが可能だが、宮司さん宅を通る必要があり、「無断駐車禁止」と書かれていたので確認が必要。

おすすめの投稿

神祇伯
2021年08月21日(土)
1339投稿

備前国御野郡の式内論社です。この石門別神社は中世の時点で廃絶して行方が分からなくなっていたそうで、後世の藩主の記録などから当時の戸隠神社だった当社がその候補として挙げられていました。

石門別神社の鳥居

《鳥居と社号碑》
看板には宮司さんの電話番号が書いています。他の方の記録によれば御朱印いただけるみたいですね。

石門別神社の末社

《末社・塞神社》
足の病気を防ぎ、悪霊を防ぐ「威力」を持ちます。
強そう。

石門別神社の建物その他

《鶴?》
何か鳥のようですが、なんか嘴めっちゃ曲がってますね。同じような彫刻が北区北方の御崎宮の拝殿にありましたが…

石門別神社の手水

《手水舎》
使えるようになってました。

石門別神社の山門

《随身門》
御祭神的に考えるなら、こちらのお二方が御祭神と云えるかもしれません。

石門別神社の建物その他

《社務所》
普段はどうやら鳥居の隣のご自宅にいらっしゃるようです。

石門別神社の本殿

《拝殿》
👁チェックポイント‼️
岡山県神社庁の神社ページによると御祭神に関しては天手力雄神さまだとも言われています。これは記紀においても天石門別神さまが同一視されているため二柱が共に祀られていることがあるからだそうです。

石門別神社の本殿

《本殿》
幣殿が縦についている岡山県独自の建築様式ですね。

石門別神社の末社

《末社…?》
社があるわけではなく、石の祠のようですね。お酒が供えられているんですが、これもよく分かりませんな。

石門別神社の末社

《末社・稲荷神社》
いつもお世話になってお(🤛

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石門別神社の基本情報

住所岡山県岡山市大供表町3-31
行き方
アクセスを詳しく見る
名称石門別神社
読み方いわとわけじんじゃ
通称とかくし神社
参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号086-222-4927
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主》天津石門別命
創建時代不詳
創始者不詳
本殿一間社流造
ご由緒

当社は御野郡伊福郷の大安寺山に祀られており、延喜6年(906)正月に現在の場所へ遷座したと伝えられている。
 『備前国式内書考録』(明治初年)が記す様に、この神社は、はやく廃絶してその所在場所は久しく不明であったと思われる。そして江戸中期頃になって大供村の戸隠神社が式内石門別神社に比定されることになったようである。 例えば、元文4年(1739)に完成した『備陽国誌』には『戸隠宮 大供村。所祭 手力雄命。延喜式に御野郡石門別神社と云う当社ならんかと云へり』と見える。
 しかし、その後寛政年間に岡山藩士大澤惟貞によって編纂された『吉備温故秘録』では、式内石門別神社は大安寺村の項に記されてをり、また明治3年の『神社明細帳』でもこの神社は未だ『戸隱宮』と記されていることなどを考えると、江戸時代中期頃から式内石門別神社に比定されながらも明治初年まではなお決定的なものとはならなかった様子がうかがわれる。『特選神社名牒』にいくつかの説を並記しながら「大供村戸隠宮を備陽国誌の神明帳に御野郡石門神社とあるは当社ならんかとみえ貞享元年神社書上帳に戸隠宮とあり社司の記録に備前国御野郡大供村鎮座戸隠宮奉祭手力雄命也とあるもの證とするに足れり故今之に従う」としている。なおこの神社に神宮寺が置かれたことを『御國中神社略記』が記してをり(昭和13年『岡山市史』第5巻)、『吉備温故秘録』は廃寺の項に「日蓮宗安立山大福寺 大供村・本寺蓮昌寺」と記している。大福寺は岡山藩の寛文期の社寺整理の際に廃寺とされたもので、『撮要録』(文政6年)はこの時廃寺となった寺についての寶永4年(1707)の調査資料をあげている。それには「住持還俗改名清左衛門後有罪追放、寺株田地賜、清左衛門追放後賜磨屋町光珍寺、理斎大供村へ引越孫權六續之、本尊なし」とある。
 社領について『備前國式内書上録』(明治初年)は寛保年間の社伝(現在その行方は不明)に記された古老の申し伝へとして「當社往古封戸神田許多有之所ニ亂世之比度々減シ、浮田泉茘直家、同秀家之御代、天正文禄の比は社領纔25石残れり、是亦慶長之始召放れける由」と記すが、確認できない。江戸時代の地誌類、明治初年の諸資料にはこの神社の社領は記載されていない。
 『荘園資料』などによると、石門別神社の鎮座する大供付近は藤原氏の氏長者に属する殿下渡領となった鹿田荘の荘園に含まれていたと考えられている。[岡山県神社庁のHPより抜粋]

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