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宇奈岐日女神社ではいただけません
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うなぎひめじんじゃ

宇奈岐日女神社
大分県 由布院駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

有り

おすすめの投稿

神祇伯
2024年04月08日(月)
1339投稿

豊後国速見郡の式内社です。由布院の総鎮守とされている神社で、由布岳の神体としています。社名はウナグヒメという神様を祀っていたという説や、由布院盆地が湖であったことからそこにいた鰻の精霊が集合したという説などがあるそうです。

宇奈岐日女神社(大分県)

《一の鳥居》
市街の中心に巨大な鳥居があります。

宇奈岐日女神社(大分県)

《社務所》
お参りした時間が社務所ギリギリの時間だったようで、社殿の方に行こうと思ったら職員さんがお声がけくださって御朱印をいただけました。

宇奈岐日女神社(大分県)

《手水舎》
水は流れています。

宇奈岐日女神社(大分県)

《由緒書き》
六所宮という名前だったことが現在の6柱の御祭神になった由来ですが、『日本三代実録』の神階授与には「宇奈岐比咩神」とあることから本来はこの方を祀っていたと思われます。

宇奈岐日女神社(大分県)

《神門》
京都付近によくある朱色の建物とはまた違った、より濃い赤色と紋様をあしらっておりとてもきれいです。

宇奈岐日女神社(大分県)

《拝殿》
👁チェックポイント‼️
拝殿の周囲は堀になっており、橋で繋がっている状態です。当社の伝承に御祭神のウナキヒメさまが大男に命じて由布院盆地の湖に岸辺を蹴破らせて水を抜いて盆地にしたというものがあります。
元々が水辺だったということは新鮮な水が流れ込む場所であることは今も昔も変わらないということを意味しています。

宇奈岐日女神社(大分県)

《扁額》🙏
扁額にはかつての神祇官の長である神祇伯、白川雅富王の謹書が入っています。

宇奈岐日女神社(大分県)

《末社①》
厳島社です。

宇奈岐日女神社(大分県)

《末社②》
政正社(ただすしゃ)とあります。菅原道真公と天津児屋根命さまと天津多根子命さまを祀ります。

宇奈岐日女神社(大分県)

《切り株》
巨大なものがまさかの3つも…

宇奈岐日女神社(大分県)

《湧水》
この苔むしたお盆のようになった岩がいい雰囲気です。

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のぶさん
2021年08月27日(金)
1507投稿

そうしは不詳ですが、景行天皇が九州西征のみぎり、景行天皇みずから神を祭った親祭の宮とされ、景行天皇12年(82)10月に当地の速津姫が勅を奉て創祀したとも伝えられています。御祭神は、国常立尊・国狭槌尊・彦火火出見尊・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊・神倭磐余彦尊・神渟名川耳尊の六柱の神々。康保年中(964-968)性空上人が由布岳に六観音の霊場を開いて佛山寺を開基し、宇奈岐日女神社と習合して六柱の神々を祀ったことから、六所宮、六所様、木綿大明神と称されました。

当初の御祭神は、『六国史』に見るように宇奈岐日女神、北東に座する由布岳の化身であったとも、古く沼地であった湯布院盆地の沼沢の精霊であったとも考えられています。

伝承では、宇奈岐日女神、かつて由布院盆地に広がっていた湖を見て、力自慢の従者の道臣命に命じ、湖の西にあった山を蹴破らせます。たちまち湖水は流れ出し、大分川となって別府湾に流れ込み、現在の盆地を造ったとされ、南西4kmほどにある蹴裂権現社がその場所だとされています。湖には、もともと大きな龍が棲んでいたものの、水が干上がったせいで龍は神通力を失ってしまいます。龍は小さな場所でも良いから安心して住める池が欲しい、そうすれは美しい水を湧き出させ、村の人々を守ると宇奈岐日女神に願います。宇奈岐日女神は願いを聞き入れて残したのが金鱗湖とされています。

そのことから宇奈岐日女神は、農業の神、水神様として親しまれ、湯布院の守護神として崇敬されています。また、「うなぐ」とは、勾玉などの飾りを意味し、勾玉を首からかけた身分の高い女性が巫女として仕えたことから、宇奈岐日女は神に仕える巫女だったとも考えられています。神託を伝えることで、政治を司どり、神格化されたとの説もあります。

明治6年(1873)郷社に、大正12年(1923)県社に列格しました。境内は、大木の御神木の並ぶ鬱蒼とした社叢でしたが、平成3年(1991)9月27日の台風19号により倒され、144本の樹々を失いました。その中には、最長55m、幹回り9m、樹齢600年を超える大杉が何本かあり、現在その一部の切株が、御年社と並んで祀まつられています。

宇奈岐日女神社の鳥居
宇奈岐日女神社の建物その他
宇奈岐日女神社の建物その他
宇奈岐日女神社の鳥居
宇奈岐日女神社の建物その他
宇奈岐日女神社の建物その他
宇奈岐日女神社の建物その他
宇奈岐日女神社の狛犬
宇奈岐日女神社の山門
宇奈岐日女神社の塔
宇奈岐日女神社の御朱印
宇奈岐日女神社の体験その他
宇奈岐日女神社の建物その他
宇奈岐日女神社の自然
宇奈岐日女神社の本殿
宇奈岐日女神社の末社
宇奈岐日女神社の末社
宇奈岐日女神社の建物その他
宇奈岐日女神社の末社
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歴史

創祀は不詳ですが、景行天皇が九州西征のみぎり、景行天皇みずから神を祭った親祭の宮とされ、景行天皇12年(82)10月に当地の速津姫が勅を奉じて創祀したとも伝えられています。御祭神は、国常立尊・国狭槌尊・彦火火出見尊・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊・神倭磐余彦尊・神渟名川耳尊の六柱の神々。康保年中(964-968)性空上人が由布岳に六観音の霊場を開いて佛山寺を開基し、宇奈岐日女神社と習合して六柱の神々を祀ったことから、六所宮、六所様さま、木綿大明神と称されました。

当初の御祭神は、『六国史』に見るように宇奈岐日女神で、北東に座する由布岳の化身であったとも、古く沼地であった湯布院盆地の沼沢の精霊であったとも考えられています。

伝承では、宇奈岐日女神は、かつて由布院盆地に広がっていた湖を見て、力自慢の従者の道臣命(蹴裂権現)に命じ、湖の西にあった山を蹴破らせます。たちまち湖水は流れ出し、大分川となって別府湾に流れ込み、現在の盆地を造ったとされ、南西4kmほどにある蹴裂権現社がその場所だとされています。湖には、もともと大きな龍が棲んでいたものの、水が干上がったせいで龍は神通力を失ってしまいます。龍は小さな場所でも良いから安心して住める池が欲しい、そうすれは美しい水を湧き出させ、村の人々を守ると宇奈岐日女神に願います。宇奈岐日女神は、願いを聞き入れて残したのが金鱗湖とされています。

そのことから宇奈岐日女神は、農業の神、水神様として親しまれ、湯布院の守護神として崇敬されています。また、「うなぐ」とは、勾玉などの飾りを意味し、勾玉を首からかけた身分の高い女性が巫女として仕えたことから、宇奈岐日女は神に仕える巫女だったとも考えられています。神託を伝えることで、政治を司り、神格化されたとの説もあります。

明治6年(1873)郷社に、大正12年(1923)県社に列格しました。境内は、大木の御神木の並ぶ鬱蒼とした社叢でしたが、平成3年(1991)9月27日の台風19号により倒され、144本の樹々を失いました。その中には、最長55m、幹回り9m、樹齢600年を超える大杉が何本かあり、現在その一部の切株が、御年社と並んで祀られています。

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宇奈岐日女神社の基本情報

住所大分県由布市湯布院町川上2220
行き方

由布院駅下車 徒歩15分
由布院駅から出る観光の馬車でも行けます(乗り場で確認して下さい)

アクセスを詳しく見る
名称宇奈岐日女神社
読み方うなぎひめじんじゃ
通称六所宮 木綿神社
参拝時間

授与所:08:30〜16:30

参拝にかかる時間

約20分

参拝料

無料

トイレ有り
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0977-84-3200
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神国常立尊
国狭槌尊
彦火火出見尊
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
神倭磐余彦尊
神渟名川耳尊
ご神体由布岳
創建時代景行天皇12年 (82)
創始者速津姫
本殿三間社流造
ご由緒

創祀は不詳ですが、景行天皇が九州西征のみぎり、景行天皇みずから神を祭った親祭の宮とされ、景行天皇12年(82)10月に当地の速津姫が勅を奉じて創祀したとも伝えられています。御祭神は、国常立尊・国狭槌尊・彦火火出見尊・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊・神倭磐余彦尊・神渟名川耳尊の六柱の神々。康保年中(964-968)性空上人が由布岳に六観音の霊場を開いて佛山寺を開基し、宇奈岐日女神社と習合して六柱の神々を祀ったことから、六所宮、六所様さま、木綿大明神と称されました。

当初の御祭神は、『六国史』に見るように宇奈岐日女神で、北東に座する由布岳の化身であったとも、古く沼地であった湯布院盆地の沼沢の精霊であったとも考えられています。

伝承では、宇奈岐日女神は、かつて由布院盆地に広がっていた湖を見て、力自慢の従者の道臣命(蹴裂権現)に命じ、湖の西にあった山を蹴破らせます。たちまち湖水は流れ出し、大分川となって別府湾に流れ込み、現在の盆地を造ったとされ、南西4kmほどにある蹴裂権現社がその場所だとされています。湖には、もともと大きな龍が棲んでいたものの、水が干上がったせいで龍は神通力を失ってしまいます。龍は小さな場所でも良いから安心して住める池が欲しい、そうすれは美しい水を湧き出させ、村の人々を守ると宇奈岐日女神に願います。宇奈岐日女神は、願いを聞き入れて残したのが金鱗湖とされています。

そのことから宇奈岐日女神は、農業の神、水神様として親しまれ、湯布院の守護神として崇敬されています。また、「うなぐ」とは、勾玉などの飾りを意味し、勾玉を首からかけた身分の高い女性が巫女として仕えたことから、宇奈岐日女は神に仕える巫女だったとも考えられています。神託を伝えることで、政治を司り、神格化されたとの説もあります。

明治6年(1873)郷社に、大正12年(1923)県社に列格しました。境内は、大木の御神木の並ぶ鬱蒼とした社叢でしたが、平成3年(1991)9月27日の台風19号により倒され、144本の樹々を失いました。その中には、最長55m、幹回り9m、樹齢600年を超える大杉が何本かあり、現在その一部の切株が、御年社と並んで祀られています。

体験祈祷おみくじ絵馬御朱印お守り祭り伝説

Wikipediaからの引用

概要
宇奈岐日女神社(うなぐひめじんじゃ/うなきひめ-/うなぎひめ-)は、大分県由布市にある神社。式内社で、旧社格は県社。 「六所宮」とも呼ばれるほか、「木綿神社(ゆふじんじゃ)」「木綿山神社(ゆふさん-)」の通称もある。
歴史
歴史[編集] 創建[編集] 社伝によれば、創祀は景行天皇12年10月であるという[1]。『神社明細帳』では、景行天皇が征西のおりに当地で祭を営んだといい、同天皇3年に速津姫が勅を奉じて創祀したという伝承を伝える[2]。 当社は由布岳の南西山麓に鎮座している。『太宰管内志』では「木綿山にます神なので木綿ノ神社ともいう」という記述があるほか、『豊後国志』でも宇奈岐日女神は由布山神であると記されており、元々は由布岳を神体山として成立した神社であると見られている[2]。 一方、由布院盆地が古くは湖であったという伝承に基づき、ウナギ(鰻)を精霊として祀ったことに始まって、のちに由布岳の神と習合し...Wikipediaで続きを読む
引用元情報宇奈岐日女神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%87%E5%A5%88%E5%B2%90%E6%97%A5%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=88716216

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