うなぎひめじんじゃ
宇奈岐日女神社のお参りの記録一覧
豊後国速見郡の式内社です。由布院の総鎮守とされている神社で、由布岳の神体としています。社名はウナグヒメという神様を祀っていたという説や、由布院盆地が湖であったことからそこにいた鰻の精霊が集合したという説などがあるそうです。
《一の鳥居》
市街の中心に巨大な鳥居があります。
《社務所》
お参りした時間が社務所ギリギリの時間だったようで、社殿の方に行こうと思ったら職員さんがお声がけくださって御朱印をいただけました。
《手水舎》
水は流れています。
《由緒書き》
六所宮という名前だったことが現在の6柱の御祭神になった由来ですが、『日本三代実録』の神階授与には「宇奈岐比咩神」とあることから本来はこの方を祀っていたと思われます。
《神門》
京都付近によくある朱色の建物とはまた違った、より濃い赤色と紋様をあしらっておりとてもきれいです。
《拝殿》
👁チェックポイント‼️
拝殿の周囲は堀になっており、橋で繋がっている状態です。当社の伝承に御祭神のウナキヒメさまが大男に命じて由布院盆地の湖に岸辺を蹴破らせて水を抜いて盆地にしたというものがあります。
元々が水辺だったということは新鮮な水が流れ込む場所であることは今も昔も変わらないということを意味しています。
《扁額》🙏
扁額にはかつての神祇官の長である神祇伯、白川雅富王の謹書が入っています。
《末社①》
厳島社です。
《末社②》
政正社(ただすしゃ)とあります。菅原道真公と天津児屋根命さまと天津多根子命さまを祀ります。
《切り株》
巨大なものがまさかの3つも…
《湧水》
この苔むしたお盆のようになった岩がいい雰囲気です。
そうしは不詳ですが、景行天皇が九州西征のみぎり、景行天皇みずから神を祭った親祭の宮とされ、景行天皇12年(82)10月に当地の速津姫が勅を奉て創祀したとも伝えられています。御祭神は、国常立尊・国狭槌尊・彦火火出見尊・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊・神倭磐余彦尊・神渟名川耳尊の六柱の神々。康保年中(964-968)性空上人が由布岳に六観音の霊場を開いて佛山寺を開基し、宇奈岐日女神社と習合して六柱の神々を祀ったことから、六所宮、六所様、木綿大明神と称されました。
当初の御祭神は、『六国史』に見るように宇奈岐日女神、北東に座する由布岳の化身であったとも、古く沼地であった湯布院盆地の沼沢の精霊であったとも考えられています。
伝承では、宇奈岐日女神、かつて由布院盆地に広がっていた湖を見て、力自慢の従者の道臣命に命じ、湖の西にあった山を蹴破らせます。たちまち湖水は流れ出し、大分川となって別府湾に流れ込み、現在の盆地を造ったとされ、南西4kmほどにある蹴裂権現社がその場所だとされています。湖には、もともと大きな龍が棲んでいたものの、水が干上がったせいで龍は神通力を失ってしまいます。龍は小さな場所でも良いから安心して住める池が欲しい、そうすれは美しい水を湧き出させ、村の人々を守ると宇奈岐日女神に願います。宇奈岐日女神は願いを聞き入れて残したのが金鱗湖とされています。
そのことから宇奈岐日女神は、農業の神、水神様として親しまれ、湯布院の守護神として崇敬されています。また、「うなぐ」とは、勾玉などの飾りを意味し、勾玉を首からかけた身分の高い女性が巫女として仕えたことから、宇奈岐日女は神に仕える巫女だったとも考えられています。神託を伝えることで、政治を司どり、神格化されたとの説もあります。
明治6年(1873)郷社に、大正12年(1923)県社に列格しました。境内は、大木の御神木の並ぶ鬱蒼とした社叢でしたが、平成3年(1991)9月27日の台風19号により倒され、144本の樹々を失いました。その中には、最長55m、幹回り9m、樹齢600年を超える大杉が何本かあり、現在その一部の切株が、御年社と並んで祀まつられています。
良かったです。
木綿神社(ゆふじんじゃ)木綿山神社(ゆふやまじんじゃ)六所神社と呼ばれる事
もあるそうです
池?の中に本殿があり、鯉が泳いました。
第一の鳥居は、ゆふいん駅近くの四つ角にあり
ます。
第一の鳥居
ここから、鳥居、約15分
御神木に屋根着いてます
第二の鳥居
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