りんせんじ|曹洞宗|春日山
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一月六日 上越市中門前に座します 曹洞宗 春日山 林泉寺様 初詣をさせていただきました。 春日山神社から遠くない距離にあります。
御本尊 釈迦牟尼仏
明応6年(1947) 越後守護代長尾能景が父親の17回忌供養の為、帰依していた曇英恵応(室町時代の僧)を招き開山、創建。
虎千代(上杉謙信)が7歳から元服し景虎の名になるまで、ここで学んだそうです。 その後、上杉家を継承し上杉輝虎の名になると林泉寺は上杉家の菩提寺となります。
境内には上杉謙信や、歴代藩主の墓碑、川中島の戦いで戦士者の供養など多くの史跡があり、宝物殿には上杉謙信直筆の扁額など、貴重な歴史があります。
本堂
1997年 創建500年の記念として再建
御朱印
山門(二重門)
1925年 上杉謙信公生誕400年記念として再建
惣門 春日山城の搦手門を移築したとのこと
右奥が宝物殿
歴史
今をさかのぼること500年以上の昔・・・越後守護代長尾重景と、諸国を行脚していた曇英慧応という室町時代の曹洞宗を代表する高僧が、上越の柿崎の地で運命的な出会いをした。重景は曇英和尚の人柄と、和尚の説く仏の教えに深く感じ入り、越後に留まってもらうために下小野という場所に庵を建て、そこに留まってもらうことにしたという。その庵こそが林泉寺の原点である。
重景がこの世を去った時、息子能景は父の17回忌までには春日山城の麓に曹洞宗の修行道場としてふさわしい林泉寺を新たに建立すると宣言し、その時が来たら迎えに行くと約束をして、別れる。
1497年(明応6年)能景自身が土を運び、汗を流して完成させた七堂伽藍落慶のため、齢70をすぎ老境にあった曇英ははるばる群馬から足を運び、旧き友能景との過去の約束を果たしたのであった。
その約40年後、能景の孫でまだ7歳の幼い少年が、林泉寺の門をくぐり、そののち7年間、6代目住職天室光育のもとで薫陶を受け育てられた。その少年こそがのちの上杉謙信、すなはち長尾虎千代であった・・・・・
林泉寺の基本情報
住所 | 新潟県上越市中門前1-1-1 |
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行き方 | トキ鉄・妙高はねうまライン「春日山駅」より徒歩30分、車で5分
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新潟県のおすすめ3選🍁
名称 | 林泉寺 |
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読み方 | りんせんじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 025-524-5846 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.valley.ne.jp/~rinsenji/ |
詳細情報
ご本尊 | 釈迦牟尼仏 |
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山号 | 春日山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
創建時代 | 明応6年(1497年) |
開山・開基 | 長尾能景 |
ご由緒 | 今をさかのぼること500年以上の昔・・・越後守護代長尾重景と、諸国を行脚していた曇英慧応という室町時代の曹洞宗を代表する高僧が、上越の柿崎の地で運命的な出会いをした。重景は曇英和尚の人柄と、和尚の説く仏の教えに深く感じ入り、越後に留まってもらうために下小野という場所に庵を建て、そこに留まってもらうことにしたという。その庵こそが林泉寺の原点である。
1497年(明応6年)能景自身が土を運び、汗を流して完成させた七堂伽藍落慶のため、齢70をすぎ老境にあった曇英ははるばる群馬から足を運び、旧き友能景との過去の約束を果たしたのであった。 その約40年後、能景の孫でまだ7歳の幼い少年が、林泉寺の門をくぐり、そののち7年間、6代目住職天室光育のもとで薫陶を受け育てられた。その少年こそがのちの上杉謙信、すなはち長尾虎千代であった・・・・・ |
体験 | 有名人のお墓 |
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